あなたは私の
深森 薫
『アンタ、あの娘のなんなのさぁ』
思い切りドスを利かせた声でそう言って、美奈子はびしっ! と人差し指をまことの鼻先へ突きつけた。
「あうっ!?」
あまりの近さに、まことは思わず仰け反る。
「♪港のヨーコ・ヨーコハマヨコスカぁ〜♪」
そんなまことにくるりと背を向け、美奈子は高らかに歌い続けた。
「・・・美奈子ちゃんのレパートリーってさぁ・・・」
「・・・計り知れないよね・・・」
半ば感心したように、半ば呆れたように、まこととうさぎがひそひそと言葉を交わす。西郷輝彦、藤山一郎、植木等、ダ・カーポ、スパイダーズ、ドリフターズ。今時の女子高生が到底知っているとは思えないような懐メロを歌うかと思えば、新着ホヤホヤの新譜を歌いこなしてみせる美奈子。ちなみに、港のヨーコの前は『一円玉の旅がらす』だった。
「常人には計り知れないわね。アレは特殊な生き物だから」
烏龍茶を一口喉に流し込んで、レイが言う。こちらは、感心2割、呆れが8割。ちなみに、中島みゆきが十八番の彼女も、女子高生の平均からは十分外れていると思われる。
「・・・そうかしら」
きょとん、と首を傾げて、亜美が言う。こちらのグラスは、グレープフルーツジュース。
「私、いちおう全部わかったけど」
「・・・亜美ちゃんの記憶力も・・・」
「・・・計り知れないよね・・・」
顔を見あわせるまこととうさぎ。美奈子の時とは口調が微妙に変わって感心9割呆れが1割なのは、普段の行いの賜物か。ちなみに亜美は、先刻スリーライツの新曲を完璧に歌いこなして皆の度肝を抜いた。
「美奈はともかく、亜美ちゃんがあんたのオツムで計り知れるわけないでしょう」
テーブルにグラスを戻して、レイが冷ややかに言い放つ。
「あー!レイちゃん酷い!」
「真実は往々にして残酷なものよ」
「おーおー、にして?」
レイに猛抗議していたうさぎは急にきょとんとした顔をして、かくんと首をかしげた。
「えいえいおー、じゃなくて?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「♪港のヨーコ・ヨーコハマヨコスカぁ〜♪」
誰が聞いていようが聞いていまいが、美奈子の熱唱は続く。
「・・・『アンタ、あの娘のなんなのさ』・・・か」
帰り道、突然そんなことを口走るまことを亜美はきょとんとした顔で見た。
「さっきの歌?」
そんなに気に入ったの、と亜美はくすくす笑う。
「ん。気に入った、ってか。それがずっと頭の中でぐるぐる回ってんだよね」
耳の後ろを掻きながら、まこと。それが耳にこびり付いたメロディを掻き出すような仕草に見えて、可笑しさを誘う。
「確かに、キャッチィよね。メロディらしいメロディなんてそれだけだし」
「んん・・・メロディよか、その台詞がさ」
今度は頬を掻きながら、まこと。
「なんか、すごくあたしに突き付けられてるみたいな感じがして」
「それは」
亜美は少し眉根を寄せて、
「美奈子ちゃんが、歌いながらやたらとまこちゃんに絡んでたから」
マイクを握り締めて熱唱する美奈子の姿を思い出しながら苦笑する。台詞のたびにまことに指を突き付けてみたり顔を近づけてみたり、はたまた肩を組んでゆさゆさと揺さぶってみたり。あのときの美奈子はとにかくスキンシップ過剰だった。
「だね。絡むならレイちゃんに絡めばいいのにさ」
「レイちゃんだと怒られそうだからじゃない?」
確かに。大声で歌いながらレイにいきなり顔を近づけたりすれば、次の展開は目に見えている。
二つに一つ、グーで殴られるか、パーで殴られるか。
「まこちゃんはそういうところ、優しいから」
「んー・・・何か、それってすごく損な性分な気がするなぁ・・・あ」
額に手を当て、困ったようにそう言ったまことは、ふと何か楽しいことでも思いついたように顔を綻ばせた。
「亜美ちゃん。もしかして、ちょっと妬いたり、した?」
「残念でした。いくら私でも、そこまで狭量じゃないわ」
いささか自惚れた質問に、亜美はくすりと笑って、小さくかぶりを振る。
ちぇー、と大袈裟に落胆してみせてから、まことも笑った。
「・・・で、さ」
二人でひとしきり笑ったあとで、まことが口を開く。
「あれから、何となく考えちゃった。あたし、亜美ちゃんの何なのさ、ってね」
それまでと変わらない、軽い口調で。声だけが少し、上擦って。
「で。色々考えてみたんだけど」
亜美は静かな面持ちで、次の台詞を待った。
「やっぱ、その、ほら、『友達』っていうのは・・・違うじゃん?なんか、さ」
まことは少し照れくさそうにくしゃりと前髪をかき上げて、一呼吸置くと、
「そしたら、やっぱ、その・・・・・・・『恋人』になるのかなぁ、って」
ね? と、同意を求めるように語尾を上げた。
俯いたまま、亜美は答えない。
「あーみちゃん?」
くすりと笑って、まことは彼女の顔を覗き込む。赤くなって黙り込んでしまった亜美を冷やかす時、まことはよくこんな風に彼女の名を呼ぶ。
「・・・うん・・・」
亜美はほんのり頬を染めて微笑んだ。
「それ、でもいいけど。何か、違う気がするわ」
「え」
否定の言葉を予想していなかったまことにとって、その一言は思わぬ打撃だった。
「・・・そう?」
「・・・・・・ええ」
何かを深く考え込むとき特有の、少しうつむき加減の表情で、亜美。
「そっか・・・うん」
それから家に辿り着くまで、まことの記憶は飛んでいた。どこをどう歩いて家まで帰り着いたのか-----いつもの道に決まっているのだが------、その間何を話したのか---おそらく無言だったとは思うが-----全く覚えていない。ふと気がつくと、いつものように部屋の鍵を開けて亜美を招き入れるところだった。
------恋人じゃないなら。何なんだよ、この関係。
込み上げてくる疑問を飲み込んで、まことはドアを閉める。口に出してしまえば、声を荒げてしまいそうだった。
「お茶でいい?」
「うん」
ごく簡潔に言葉を交わして、台所に立つ。自分と揃いの彼女のマグは、当たり前のように食器棚の一員として鎮座していた。ポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。計らずとも、二人分の分量を手が覚えている。
二つのマグをテーブルに置いて差し向かいに座ってみても、もやもやとした感情のやり場もなく、まことはただ黙って熱い紅茶を飲み干すと、床にごろりと寝転がった。
「まこちゃん?」
まことの態度がおかしいことに気付いてか、亜美が呼びかける。聡い彼女にしては、少し気付くのが遅い。
まことは答えない。
「どうしたの?」
「・・・別に。なんでもない」
「本当に?」
黙り込むまこと。亜美はそれ以上追求せず、ただじっとまことを見つめ答えを待つ。
冷蔵庫のモーター音が静かな部屋に小さく響き、やがて止まった。
「・・・さっきの、答え」
「え?」
「恋人じゃないなら、何なのさ。あたしは、亜美ちゃんの」
やがてまことは口はぼったげにそう呟いて、のろのろと身を起こした。
顔を伏せたまま、視線は合わせずに。
「え?」
亜美は一瞬きょとんとした顔をして、ああ、と合点がいったように頷いた
「私もね、あれから考えてたの。ずっと」
柔らかに微笑んだ。
「・・・で?」
「え?」
「考えたんだろ。で、どうなのさ」
ふて腐れたように、まこと。
「やっと言葉を見つけたわ」
「へぇ? で、結局、あたしは亜美ちゃんの何なのさ」
抑えの利かない苛立ちに、言葉も声音も険しくなる。
「うまく言えないけど。強いて言葉を与えるなら」
動じることなく、微笑みすら浮かべて、亜美。
「『半身』」
「・・・は?」
友達、仲間、家族。そういった言葉を予想していたまことは拍子抜けしたように声を裏返らせた。
「だから、さっきの答えよ。まこちゃんは私の何なのか。答えは、あなたは私の『半身』。私自身の、半分で、半身」
亜美は思わずくすりと笑って、幼子に言い含めるように語る。
「もともと一つだった心と体が、何かの拍子で半分に分かれて、別々に生まれてきた。そんな感じかしらね。だから---」
不意に、彼女を包む空気が変わった。
穏やかな表情や口調はそのままに。
「だから、一つになりたくて求めあう。なくしたら、生きていけない。生まれる前にもぎ取られた、私の半身。恋人なんて、そんなありきたりの言葉では言い表せないわ」
そう告げる彼女の視線に射抜かれて、まことは先刻まで駄々をこねていたことも忘れてただ呆然と見つめ返している。
「・・・答えに、なってるかしら?」
「・・・うん」
不意に亜美が微笑んで、まことは金縛りを解かれたように頷いた。
「それとも。『恋人』くらいの方がいいかしら?」
「・・・いいや」
小さくかぶりを振って、まことは手を差し伸べた。
亜美が応えるように、その手に自分の手を預ける。
まことはその手を強く引き寄せ、亜美の体を自分の腕の中に収めた。
「・・・でも、さ」
少し腕に力を込めながら、まこと。
「ひとつになれないから、何度でも求め合える、ってのも。あるよ」
「・・・そうね」
悪戯ぽい笑みで目配せをすると、亜美はくすりと笑って頷いた。
その先の言葉は、口吻で飲み込んで。
あとは、ただお互いを求め合う。
どんなに強く抱き合っても、ひとつにはなれないと知りながら。
あなたは私の、半身。
−−−あなたは私の・終
2006.3.19 (Sun.) セーラームーンオンリーイベント『Dream Planet 3』発行 無料配布本より
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