'Cause I Love You

深森 薫

  

「んぐぅっ・・・」
 心臓が縮まるようなショックに思わず呻き声を上げたまことは、顔をしかめてぐっと息を止めた。
「んぐぁぁ、あ、亜美ぢゃん、痛ぃ・・・・・・」
「乱暴なようだけど、この位しないと後で化膿して大変だから」
 亜美は静かな口調でそう諭し、
「------我慢してね」
 タオルで受けながら、左の肩から二の腕に大きく口を開けた傷を消毒液で洗い流す。熱を持った傷口に冷たい消毒液が酷く滲みて、まことは歯を食いしばる。傷は決して浅いものではなく、先刻まで傷口を縛っていた制服のスカーフは重たくなるほど血を吸って、傍らに広げた新聞紙の上に放り出されていた。戦闘を終え、皆と別れて帰宅した今も完全に出血が止まったわけではない。亜美は真新しいガーゼに持ち替えて、後から滲み出す血と余分な消毒液を拭き取る。
「んぁふ・・・っ」
 痛いと言いたいのを噛み殺すまことの腕に、亜美は消毒液に浸したガーゼと油紙をあてがい、慣れた手つきで包帯を巻き付ける。
「・・・上手いね。今すぐにでもいいお医者さんになれるよ、亜美ちゃん」
 白い布が自分の腕に巻かれてゆくのを他人事のように眺めながら、呑気に言うまこと。
「・・・・・・そう?」
 さして嬉しそうでも嫌そうでもなく、亜美は気のない口調で答える。
 やがて、残った包帯を鋏でちょきんと切る音が手当の完了を告げた。
「・・・ありがと」
「包帯、少し固めに巻いたわ。血が止まったら、緩めてあげるから。
 さ、頭の方も見せて」
 言って亜美はまことの前髪をかき上げ、消毒液を含ませた綿で額の裂傷を湿らせる。
「ああ、大丈夫だよ、こんなかすり傷、ツバつけとけば」
「こんな大きな傷をかすり傷とは言いません。それに、人間の唾って雑菌だらけなのよ。」
「んじゃあ、キス。してくれたら、一発で治るかも」
「・・・それで治れば苦労しないわね」
 溜息混じりに言いながら、手の方はせっせと動かす亜美。綿はすぐに赤色に染まった。
「そんなことで本当に治るなら、いくらでも------」
「いくらでも?」
 まことは悪戯っぽく笑んで、右腕を亜美の背に回し、
「いくらでも------何?」
 意味深な視線で彼女の瞳を覗き込む。
「・・・・・・もう! いいからじっとしてて!」
「ぐぁあ! あ、亜美ぢゃん、ぼっとやざじぐぅぅぅ・・・」
 ぱっと赤くなった亜美の手つきが急に無造作になり、もがくまことの手は空を切った。

*           *           *

「ありがと」
 取り散らかした救急箱の中身を片付ける亜美の横顔を見つめながら、まことが言った。亜美は箱の中に視線を落としたまま、ううん、と小さく首を振る。
「こうやって亜美ちゃんがそばに居て手当してくれるんだったら、たまには怪我するのも悪くないかな」
 聞いていた亜美の手が一瞬ふと止まった。
「・・・・・・なーんて、ね」
 照れくさそうにまことは笑って、亜美の反応を待つ。
 亜美は救急箱の蓋をぱたん、と閉じると、
「私は・・・・・・嫌だわ」
 瞳を伏せ、消えそうな声でそう言った。
 予想とも、期待とも違う答えに、まことの表情が曇る。
「私は・・・まこちゃんが傷つくのを見たくなんてないし、それが・・・
 それが私のせいなら、尚更・・・」
 亜美の細い声はますますか細くなり、震えて、途切れた。
 その言葉を聞き咎めて、まことは眉をひそめる。
「そんな。あたしは、亜美ちゃんのせいで怪我した憶えなんて、無いよ」
 亜美は小さくかぶりを振った。
「だって、そうじゃない。・・・今日のその怪我だって、私のこと、庇ったせいで------」
 顔を上げた亜美はほんの一瞬まことと視線を合わせたが、すぐにふいと俯いてしまった。


 ------妖魔が二体同時に現れたその日の戦闘は、敵味方入り乱れての混戦となった。妖魔は二体で連携して仕掛けてくるほど賢い相手ではなかったが、一方の敵に気を取られている相手の隙を突くだけの知恵は持ち合わせていたようだ。
 セーラームーンを執拗に追い回す妖魔に気を取られるマーキュリー。
 その背後を、もう一体が狙う。
 殺気に気付き、振り返る。妖魔は腕を振り上げた。
 西洋絵画に描かれる死神の持つ、鎌に似た腕。防御は間に合わない。
 体を強張らせた瞬間、彼女と妖魔の間に新たな影が割り込んだ。
 栗色の髪を翻すジュピターの長身が、鎌の斬撃を受け止める。
 妖魔の動きがほんの一時滞った。
 すかさずジュピターは雷球を撃ち込む。至近距離からの一撃は妖魔とって致命傷に近い打撃を与えた。時を同じくしてもう一体の妖魔も倒され、乱戦はひとまず決着を見たが、肩で息をするジュピターの左腕からは血が流れ出し、指先から落ちる赤い滴はいつの間にか石畳の上に小さな血溜まりを作っていた。------


「・・・亜美ちゃん・・・」
 目があった瞬間の切なげな表情に惹かれて、まことは両手を伸ばした。
 長い腕の中に、彼女の細い躰を包み込む。
「・・・・・・ごめん」
「どうして・・・まこちゃんが、謝るの」
 亜美の声は、少し醒めていた。
「だって。亜美ちゃん、泣いてるから------」
 まことは彼女の小さな頭を引き寄せると、
「ごめん・・・また、辛い思いさせて・・・泣かせてばっかりで」
 髪に顔を埋め、掠れる寸前の声で囁くように言った。
 亜美は震えるように首を振る。
「私こそ、ごめんなさい・・・私さえもっとしっかりしてれば、こんなこと------」
「だから。亜美ちゃんがそんな風に思うことなんか、ないんだ」
 抱き締める腕にぐいと力を込めて、まことは彼女の言葉を遮った。
「だって、これはあたしの・・・ただの、わがままなんだから。あたしは、亜美ちゃんのことが大事だから------失くしてしまったら、たぶん正気じゃいられないくらいに、ね。
 だから、護りたい。それだけなんだ」
「・・・だからって・・・」
「------大丈夫だよ、死なない程度にしとくから」
 亜美の言わんとすることを察し、まことは笑って答えた。
「だって、自分が死んじゃったら、こうして触れることも抱き締めることもできないもんね。
 ------それじゃ、意味がないんだ」
 固く抱いていた腕を緩め、まことは亜美と向かいあう。
 何か言いたげな瞳のまま、言葉を詰まらせる亜美。
 まことは彼女の額に自分の額をあわせて、その瞳の中を覗き込んだ。
「大丈夫、ちゃんと解ってるから------だから、護らせてよ。
 どんなに激しい戦いになっても、必ず二人でまたここに戻って来られるように。 ね?」
 やがて、黙って小さく頷く亜美。その目元に軽く口づけるまこと。潤んだ瞳を隠した瞼は、少し熱を持っていた。
「でも・・・」
「うん?」
 互いの息づかいの感じられる距離で、寡黙な亜美の言葉を待つ。
「お願い、無茶だけは、しないで・・・」
 うん、と優しく頷いて、まことは彼女の唇に自分のそれを重ねた。
 亜美の右手が少し遠慮がちに、まことの左肩に縋る。
 まことの腕が、再び彼女を強く抱き寄せる。

「本当に------」
 長いキスの合間に、亜美がふと呟いた。
「本当に、これで傷が治るなら、いくらでも------」
「・・・いくらでも?」
「いくらでも------」
 二人は再び唇を重ねた。
 言葉では伝えられぬ、台詞の続きを伝えるために。

  

−−−'Cause I Love You・終

初出:『Sweet-Sweet』(1999年9月)

  


(^^) よろしければ、感想をお聞かせ下さい。(^^)

↓こちらのボタンで、メールフォームが開きます↓
未記入・未選択の欄があってもOKです。
メールフォーム


小説Index へ戻る