打倒!ヴィーナス2

深森 薫

 

「マーキュリー?邪魔するよ。」
 あたしは、出張から戻ると、クイーンへの報告もそこそこにコンピューター・ルームへ足を運んだ。彼女は、文字通り山と積み上げた書類の間から出てきてあたしを迎えてくれた。
「ジュピター?・・・お帰りなさい。早かったわね。」
 いつものように穏やかな、この上なく優しい笑顔をくれる彼女。
「ああ、今回のは生物標本の採取だけだったからね。それよか、この後の処理の方が大変だよ。」
「そうね、データベースへの入力作業もあるし。」
 彼女のもらした小さな溜息をあたしは聞き逃さなかった。
「あー・・・それなら、自分でやるよ、あたしが。ここの端末一個貸してくれれば。」
 ほんとは苦手なんだけどな、コンピューターって。マーキュリーの言うことは素直に聞くのに、あたしの言うことはちっとも聞かないんだ。機械のくせに。
「本当?・・・いいの?助かるわ。」
 彼女の顔が嬉しそうにぱっと輝いた。
「じゃあ、すぐに入力できるように準備しておくから。明日から、お願いしていい?」
「ああ。」
 ・・・思わぬ収穫!明日から勤務中も堂々と彼女と一緒にいられるわけだ。
「ありがとう。じゃあ、お願いするわね。」
「ん。・・・あ、そうだ、それから・・・」
 さあいよいよ本題に入るぞ。あくまでもさりげなく、自然に切り出さなきゃ。
「見せたいもんがあるんだ。地球のおみやげ。」
「・・・何?」
「サカナ。地球国の市場なんかで売ってるのとは全然違うんだ、色も形も。赤道近くの海域で採取したんだけど、すごく綺麗だよ。」
「へえ。」
 思ったとおり、彼女はこの手のものには興味津々だ。
「あんまり綺麗なんで、あたしの部屋でも飼うことにしたんだ。よかったら・・・見に来ない?」

「ええ。じゃあ、この仕事が片付いたら行くわ。まだかなり残ってるから少し遅くなるかもしれないけど、いい?」
 ・・・時間は遅ければ遅いほどいい。
「もちろん。じゃあ、後で。待ってるよ。」
そう言って、あたしはコンピューター・ルームを後にした。
 よっしゃああああ!ついにやったぞ!
 今夜彼女があたしの所にくる。
 今日こそ。
 今日こそ、絶対にキメてやる。

 

 ノックの音は、意外に早かった。
 準備は万端。部屋の掃除もしたし、口説き文句も考えてある。
 あたしは、深呼吸しながらドアを開けた。
「早かったね。待っ・・・っっっ!」
 金糸の髪、強気な瞳。不敵な笑み。そこにいたのは、彼女ではなかった。
「はーい、ジュピター。今晩は。」
「ヴィーナス・・・何しに来た。」
「あら、何しに来たとはご挨拶ね。もう少しましな応対はできないの?」
 ヴィナは右手で長い髪をかき上げながら、あたしの方を一瞥した。
「お前なんぞに振りまく愛想はない。」
「んもう。つれないんだからぁ。」
 あたしは猛烈に嫌な予感がした。こいつがあたしのまわりをうろつくと絶対にロクな事がない。
「で、何の用だ。あたしは忙しいんだよ。」
「わあ_ あれが噂の珍しいサカナねっ。」
 ヴィナは、あたしの横をするりと抜けて水槽の方へと駆けていく。
 聞けよ、人の話・・・
「わあ、ほんとだ。きれーい。あ、あの赤いの、すっごくかわいーい。あっ。しましまのもいるんだぁ。」
 水槽に貼り付くようにして、無邪気にはしゃぐヴィナ。こうしてると、こいつも結構可愛いとこあるんだけどなあ。
 ・・・って、んな呑気なこと言ってる場合じゃないぞ。もうそろそろ、いつ彼女が来てもおかしくない頃だ。それまでに何とかこいつを追い出さなきゃ。
 でも、どうやって?
 相手はヴィーナスだ。一筋縄じゃ行かないに決まってる。
「ねえ。」
「あん?」
「さっきから何そわそわしてんのよ。ドアの方ばっか気にしてさ。」
 こういう所は妙に鋭いんだ、こいつは。
「ねえってばぁ。」
「・・・先約があるんだよ。」
「は?」
 一瞬、狐につままれたような顔をするヴィナ。
「あ。」
 ぽんと手を叩いて、
「ああ。」
 あたしの顔をじっと見る。
「あぁーあ。」
 その表情が、みるみる悪意に満ちてゆく。
「ジュピターのえっち。」
「だぁぁぁぁっっ!何でそーなるんだ!」
「だってそうなんでしょ?どーせ。サカナをエサに部屋に誘い込んで、あの手この手で口説いて落としてうまくいったらそのまま朝までGO! なーんてね。」
 うっ。 図星
あぁぁ涙ぐましい努力ねー。あなたのことだから、口説き文句もずーっと前から考えてあるん「でしょ。あ、もしかして、練習なんかしてたりして。」
 ううっ。 
図星
「きゃっ、赤くなっちゃって、可愛いー。とてもそんなえっちなこと考えてるとは思えなくてよ、ジュピター。」
「うっ・・・るさい!黙れ!」
「でもねぇ、何て言うのかしら。これじゃ下心見え見えなのよね。もっと、こう、エレガントに事が運べないもんかしら。」
「やかましい!放っといてくれ!」
「あ、そんな下手な小細工するよかさ、あなたらしくいっそストレートにいった方がいいんじゃない?『好きだぁぁぁっ!』とかなんとか言っていきなり抱きしめてうむを言わさず・・・とか。うふっ」
「ヴィナ・・・やっぱお前、あたしのこと誤解してるだろ。お前みたいなイロモノと一緒にするなよ。」
「あー、そういうこと言うわけ?」
 口を尖らせてヴィナが言う。・・・お前の方がよっぽどひどいこと言ってるぞ。
「いいわよ、マーキュリーに言ってやるから。ジュピターが下心まるだしで待ってるから気をつけてねー、って。」
「なっ、ばっ、ばか!やめろ!」
「あら、いーじゃない。あの娘がそれを聞いて、それでもここへ来れば脈ありってことよ。それで来なければ・・・まあ、あきらめることね。」
「いいわけねーだろ!」
 肩をつかもうと伸ばしたあたしの腕を、ヴィナは後ろへ飛び退いてかわした。刹那、その瞳が獣のように輝く。美しくしなやかな、野生の獣。あたしの背中を冷たいものが走り抜けた。
「やぁだ、何ムキになってんのよ。」
 ・・・前言撤回。こいつは悪魔だ。
「るさいるさい!だまれっっ!」
 あたしはヴィナを捕まえようと次々と手を繰り出すが、右に左に、奴はそのことごとくを巧みにかわす。
「鬼さんこちら、あたしはここよ。」
 完全におちょくられている。このあたしを誰だと思ってんだ。
 泣く子も黙る闘神ジュピターだぞっっ!
「ンのやろぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!」
 捕まえた!と思った瞬間、あたしの両手は空を切った。宙を舞うヴィナの長い髪があたしの上に影を落とす。
「そこかっ!」
 振り向きざま放った回し蹴りも、紙一重でかわされた。
「んまぁ。野郎だなんて、野蛮ねっ」
「やかましいっ!」
 あたしは両耳のピアスをはずして、ヴィナの眉間めがけて投げつけた。一個、もう一個、紅いつぶてが空を裂く。
 隙!
 あたしの喉輪がきまった。続けてあたしはヴィナの利き手をつかみ、その体を思いっきりベッドの上に叩きつける。
「ぐぇ」
 そしてすぐに両手をねじ上げて押さえ込んだ。足も動けないようにがっちりと押さえる。こっちは至って真剣だ。何せ相手は月王国の『勝利の女神』ヴィーナス、油断も隙もみせられない。
 やった!
 あたしは内心ほくそえんだ。今日という今日は目にもの見せてくれる。
「さーあ、どうしてくれようか。二度とあたしをコケにできないように喉つぶしてやろうか。これ以上チョロチョロできないように手足の二三本へし折ってやろうか。」
「・・・痛くしないでね。うふ」
 こっ、この女はぁ!
「ふん・・・いつまでそうやって元気でいられるかな。」
 あたしは目一杯凄んで、喉に掛けた手に少し力をこめた。
「・・・お手柔らかに・・・」
 さすがのヴィナも少しおとなしくなった。さぁてこれからどうしてやろ
「ジュピター?いないの?」
 突然入り口の方から声が。今あたしはそれどころじゃな。
 い?
 あたしは、はっとして声の方を向いた。扉に手を掛けたまま彼女はそこに立っている。目をかっと見開いて、まるで固まったように動かない。
「・・・・・・・!」
 やがて彼女は、恐い顔であたしを睨みつけると、叩きつけるように扉を閉めた。
 何だ?今のリアクションは。あたし何か彼女が怒るよなことしたっけ?
 ・・・あ。
 ああ。
 あああっ。
 あああああああっっっっっっっ!
 そーだ、そーだよな。
 こんなとこでこんなことしてたら、
 普通はそう思うよな。
「ちっ・・・違う!違うんだってば!マーキュリーぃっ!」
 あたしは、ベッドから飛び起きて後を追った。
「待っ!待って!マーキュリーっ!違うんだよおっっ!」
 無人の廊下にあたしの声がむなしく響いた。
 ああ。
 最悪だ。
 最悪も最悪、最悪だ。
 考えうる最悪の事態だ。
 それというのも。
 これというのも。
 どれもこれもみんな、あいつのせいだ。
 振り返ると、諸悪の根源は、あたしのベッドの上で腹を抱えて、声を殺して笑い転げていた。
 ・・・涙まで流して笑ってやがる。
「ヴィィィィィナァァァァスゥゥゥゥゥゥ・・・」
 全身の毛が逆立ち、体中の血が逆流するような感覚。耳元で、指先で、ぱりぱりと火花が音を立てて飛び散る。ヴィナはあたしの様子が尋常じゃないことに気付いたらしく、笑うのをやめてこちらへ向き直った。
「・・・ジュピター?」
 顔をひきつらせるヴィナ。
「お、落ちついてよ。ここはあなたの部屋よ。そんなことしたらどうなるか」
「はぁぁぁぁぁぁぁっっっっつ!」
 もう遅い!
どぼぐげごわわぁぁぁんんっつ!
 あたしの雷は、そこにあったベッドと壁ごとヴィナを吹き飛ばした・・・はずだった。
 夜風にたゆたう黄金の髪。
 あの女は、辛うじて残ったベランダの手すりの上に立ってこっちを見ている。
「ジ、ジュピター、落ち着いて、ね。話せばわかるわ。ね。」
「まだ生きてたかこのくそ女!」
どげぐぉぉぉぉぉんっ!
 ベランダは粉々に消し飛んだ。まだだっ!
「そこかっっ!」
ばがぐぉぉぉぉぉんっ!
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっつ!」
 ヴィナの悲鳴が闇夜にこだまする。ということは、まだ生きてるのかっっ!
「どこだぁぁぁぁぁっっ!ヴィナ!出て来いっっっっ!」
べげぼぉぉぉぉぉんっ!
どべげぇぇぇぇぇんっ!
ぶごごぉぉぉぉぉんっ!
ちゅどぉぉぉぉぉんっ!
きゅごごごごぉぉぉぉぉぉんっ!

 舞い上がった砂埃が晴れ、辺りが再び静寂に包まれた時、すでに奴の気配は消えていた。

 

 ・・・冗談じゃない。
 奴を放っておいていたら、ずっとこの調子であたしの人生お先真っ暗だ。
 許すまじ!ヴィーナス!
 ヴィーナス、討つべし!
 今度会ったらこっぱみじんにしてやる。
 あたしは、改めて打倒ヴィーナスを心に誓った。

---打倒!ヴィーナス2・終

  


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