‡ 外交問題 ‡

深森 薫

 

 「月王国女王陛下には御機嫌麗しゅうございます。」
 月王国王宮の、ここは玉座の間。亜麻色の長髪を頭に戴いた大柄なその男は、ゆっくりとした動作で女王の前に進み出ると、さっとひざまづいて深々と頭を垂れた。
「私は地球国王家に仕えし者、ネフライトと申します。国王より親書を託され、この地へとやって参りました。」
 その親書とやらをヴィーナスがうやうやしく玉座の方へと差し出す。女王はそれを無造作に、それでいて品良く、手にとって目を通した。
「うむ・・・ご苦労であった。国王陛下にはくれぐれもよろしくお伝え願いたい。」
 そう言った女王の表情はいかにも退屈そうに見えた。あたしだってこんな窮屈なのは御免こうむりたい。大体大使だか国賓だか知らないが、こいつ何となく虫が好かない。人を小馬鹿にしたような目つきがどうも気に入らん。何が悲しゅうてあたし達までこんな礼装でかしこまってにゃならんのか。
「御客人のために今夜は特上の部屋と最高の食事を用意してある。どうかゆっくりくつろいで行かれるがいい。・・・マーキュリー」
 女王はふいと彼女の方に視線を投げかけた。彼女は普段もきちんとした身なりをしてるから礼装だからってそう変わらないけど、それでも透けるような肌と純白の衣に蒼い瞳がいっそう映える。その姿に目を奪われてあたしは息を飲んだ。
「晩餐まではまだ時間がある。それまで御客人に王宮の中をご案内して差し上げよ。」
 女王に向かって軽く会釈をすると、ネフライトの方へと歩み出る彼女。
「貴女のような美しい方に御案内頂けるとは光栄です。」
 ネフライトはお約束な賛辞を述べて、今度は彼女の方へ向かってひざまづき、彼女の手を取って軽く口づけた。
「それでは女王、しばしの間失礼を。」
 そしてもう一度、女王に向かって一礼すると、彼女の後について玉座の間を出ていった。
 ・・・気にいらん。
 あの手のキザ男は。
「あとの者も皆下がってよいぞ。」
 あいつ絶対女たらしだぞ。あーいうのを野放しにしといたら
「ジュピター。」
「・・・えっ、あ、は、はい。」
「マーズ。」
「はい。」
「ちょっと話がある。この場に残れ。」
「お前達、あの男をどう思う?」
「・・・虫の好かない奴ですね。」
 あたしの答えを聞いた女王は目を細めて、愉快そうにふっ と鼻で笑った。
 あたしはごく正直に答えたつもりなんだけど。
「マーズ、お前は?」
「特に悪い気配は感じませんが・・・だからといって信用できる人物でもありません。隙を見せればつけ込んで来そうなタイプです。」
「うむ。」
 マーズの答えに満足そうにうなずく女王。
「あやつ、かなりの曲者ぞ。ただの御使いとは思えん。そう思ってマーキュリーを側につけたのだが・・・だが、用心に越したことはない。」
 女王は、頬杖をついて楽しげに微笑んだ。ふてぶてしい笑み。こんな表情が出来るのは、この国じゅうでたぶんこの人だけだ。
「そこで、だ。お前達二人でそれとなく奴の行動を見張れ。もしも不穏な動きがあれば、その時は」
 女王の双眸が暗い光を放った。
「少々手荒なことをしても構わん、取り押さえよ。」
 そこらの妖魔なんか較べ物にならない魔力を秘めたその眼に、さすがのあたしも背筋がぞっとする。やっぱこの人が一番くせ者なんじゃないかな。そんなことを思いながら、あたし達は一歩下がって女王に敬礼した。

*     *     *     *     *

「美しい・・・・・・」
「ええ。ここの薔薇は今がちょうど盛りなんです。」
「いえ、花のことではありません。」
「え?」
『貴女のことを言ったのです。』
「貴女のことを言ったのです。」
 あたしの呟きとネフライトの声が同時にハモる。口説き文句のお約束パターンだ。
『かぁーっっ! 見え見えなんだよな。もっとましなことは言えないのかね。』
『自分もさんざん同じこと言ってる癖に。いーから黙って見張ってなさい。』
 マーズが冷静にツッコミを入れる。
「ここでは何もかもが美しい。宮殿といい、花園といい。それに。
 何と言ってもご婦人方・・・貴女のように。」
『顔は良くっても喋るセリフは最っ低ぇだな。耳が腐る。』
『・・・あんただってあれと大して変わんないじゃない。同レベルよ、はっきり言って。』
 呆れたような声で冷たく言い放つマーズ。そんなやりとりをしてる間にさりげなく彼女の肩に手を伸ばすネフライト!
『あぁぁぁっっっ!その手は何だその手わっ!』
『ジュピター、うるさい!見つかったらどうすんのよ!』
 マーズが振り上げかけたあたしの拳を力一杯押さえる。そんなことをやってる間にマーキュリーはくるりと身を翻し、ネフライトの方に向き直った時にはいつの間にか奴の手の届かない所に立っていた。
『あ・・・何だぁ』
 少し安心したら急に拳から力が抜けた。
「地球のひとは」
 そう言って見せた彼女の微笑みは、いつもの優しいそれと違ってどこか悪戯っぽくも見えた。
「皆、貴方のように口がお上手なのですか?」
「とんでもない。思ったままを申し上げたまでです。」
「そうですの? とてもお上手でしたわよ。」
 にっこりと可愛げに首をかしげる彼女。
「まるで今まで何度も同じことをおっしゃったことがあるみたいに。」
 ・・・口振りは丁寧だけど実は結構キツいかも。
「まさか。こんなことを言うなんて・・・貴女が初めてです。本当に。」
 そう言って彼女の方に歩み寄るネフライト。
「まあ。貴方ほどの方なら周りのひとが放っておかないでしょう?。」
 と、彼女は奴が近づいた分だけさりげなく遠ざかる。
「私の周りには貴女ほどのひとは居なかった。」
「・・・ネフライト様、嘘にしても見え透いていますわ。」
『往生際が悪いな、あいつ。まだ諦めんぞ。』
『・・・ジュピター、あんた人のこと言えるの?』
「嘘などではありません。貴女の前ではどんな女性も霞んで見える。」
『しつっこいんだよお前わっ!』
『しっ!声が大きい!』
「もしも」
 ど最低ぇなセリフに彼女は涼しげな顔で切り返す。
「もしも私でなく他の者が貴方の御案内を命じられていたら、そのひとにもやっぱり同じことをおっしゃっていたのではなくて?」
「マーキュリー・・・いい加減意地悪はやめて下さい。」
『なっ・・・! てめぇ呼び捨てにするなんざ千年早いぞ!』
 耳元で火花のはじける音がする。
『落ち着きなさいこの瞬間湯沸かし器! ほんとにマーキュリーに愛想尽かされるわよっ!』
『くっ・・・・・』
 痛いところを突かれてあたしは声をかみ殺した。
「意地悪だなんて・・・本当のことでしょう?」
「何故・・・どうして分かってくれないのですか。」
 性懲りもなくネフライトは彼女に近づく。彼女が逃げる・・・より一瞬早く奴はついと前に出て彼女の手を取った!
「私はこんなに真剣なのに。」
『あぁぁぁぁぁっっっ! この野郎!』
『ジュピター!・・・ちょ、ちょっと、落ち着きなさいよ。あいつはまだ何もやっちゃいないんだから。』
『あれだけやりゃ十分だ!』
 あたしは奴に向かって足を踏み出した。
『ジュピター! やめなさい! 外交問題になるわよ!』
 マーズが後ろからあたしの腕を絡め取った。
『外交問題けっこう! とにかくあいつだけは放っておけん!』
『けっこう、って! あんた外交問題って何のことだか解ってんの?』
『何だっていいよ、いいからその手を放せ!』
『あぁぁもうっ! やめなさいって言ってるでしょ! 何考えてんのよあんたわっ!』
『ええい止めるな! マーズどけっ!』
 あたしはついにマーズの制止を振り切って飛び出した。
「このままでは・・・今夜は眠れそうにない。」
 まだ言ってやがる。ネフライトのあまりのしつこさに少々辟易する彼女。
「へぇ。じゃあ、どうすれば眠れるんだい?」
 あたしの声に、二人の顔が一斉にこっちを向く。いつも冷静なマーキュリーの顔に動揺の色が見える。何かを言おうとして口をぱくぱくさせるけど、声が出てないから何言ってんのか解らない。
「おやおや、立ち聞きとは良くないですね。」
「ふん・・・地球の男ってのは女を口説いてて脈があるかどうかも分かんないのかね。」
 ネフライトの眉がぴくんと跳ねた。善人ぶったその眼に一瞬悪意が光る。
「ジュピター! 待ちなさいこの大ばかっ! 失礼でしょっ!」
 マーズも怒鳴りながらあたしの後を追って駈けてきた。マーキュリーは何だか具合悪そうに頭をかかえている。心なしか顔も青いみたいだ。
「私は何か貴女のお気に障るようなことでも致しましたか?」
「ああ、気に入らないね。そのものの言い方といい、目つきといい。特に口説き文句なんか最っ低の最っ悪だ。」
「何てこと言うのこのスカタンっ! 謝んなさい!」
 あたしの前に立って怒鳴り上げるマーズ。文字どおり烈火のごとく怒った彼女の顔は綺麗ですらあった。けど、悪いけど、今さら退き下がるわけにはいかない。
「では」
 ずいとあたしの前に歩み出るネフライト、こいつもかなりの瞬間湯沸かし器みたいだ。冷静ぶってるけどこいつもかなり頭に来てるぞ。視線と視線が真っ直ぐにぶつかる。背丈はあたしよりちょっとだけでかい位か。
「どうすれば気が済むのですか?」
「あんたが考えてるのと同じことさ。」
 そう言ってにやりと笑って見せると、色の悪い奴の口元にも笑みがこぼれる。出来るもんならやってみろと言わんばかりだ。
「あなたの得物は?」
「今何も持ってないんでね、素手でやらせてもらうよ。」
「生憎、武器を持たない者をいたぶるのは趣味ではないのだが・・・しかもご婦人を。」
「へぇ、そうかい。」
 あたしは近くにあった金属製のベンチに足を乗せて、片手でその背もたれをっ・・・ひん曲げて見せた。
「・・・ほう。」
 嬉しそうに笑みを浮かべるネフライト。
「ジュピター! ちょっと! やめなさいっつってるでしょ!」
 止めようとするマーズを押しのけてあたしは身構えた。
「では私も」
 奴も構える。そしてしばらく睨み合い、互いの腹をさぐり合う。確かにこいつは曲者らしい、なめてかかると痛い目を見そうだ。少しカマをかけてみよう。
「はっ!」
 とりあえず繰り出したあたしの手刀をネフライトは左腕で受け流し、右拳の突きを出して来る。あたしは掌でその突きを受け止めた。
「へぇ。なかなかやるじゃんか。」
「あなたこそ。・・・ご婦人にあまり手荒なことはしたくないのだが、それではこっちが痛い目を見そうなのでね。」
 ネフライトは大きなその手で亜麻色の髪をかき上げた。
「次は本気でやらせていただく。」
「そう来なくちゃね。」
「では・・・参る!」
「はぁぁぁぁっっ!」
 二人はほぼ同時に地を蹴った。・・・いや、もう一人!横から飛び出した影があたし達めがけて手刀を振り下ろす。
「何者っ?」
 らしくもなく狼狽するネフライト。
 ・・・この気配は?もしかして
「はあい、皆さんお揃いね。ちょうどよかったわぁ。」
 ・・・この覇気のない声はぁ、やっぱり。張りつめていた空気が一気にゆるんだ。声の主はまばゆい金髪をかき上げながら告げた。
「そろそろ宴の用意が出来ましてよ。ネフライト様、どうぞ大広間の方へお越しくださいませ。」
「なっ・・・こら! ヴィナ! 邪魔すんな!」
「ささ、どうぞ、こちらでございますわ。」
「う、うむ。」
 ・・・・・全っ然人の話聞いちゃいねぇ。
「ちょっと待て! まだ途中だぞ! おい!」
「女王がお待ちかねですわ。パレスの者も勢揃いしております。」
「くぉら! ヴィナ! 人の話を聞け!」
 やっとの事でヴィナは面倒くさそうにあたしの方を向いた。
「あによ・・・あんたまだ居たの?」
「まだ居たのとはなんだまだ居たのとわっ!」
「・・・あのねぇ」
 ため息をつきながらうんざりしたようにヴィナは言う。
「晩餐会の用意はもうとっくに出来てるのよ。クイーンもプリンセスもお待ちかねなんだから。あんまり待たせてクイーンの御機嫌を損ねたりなんかしたら」
 ヴィナの目つきが変わった。
「怖いわよ。」
 そう吐き捨てるヴィナに気圧されてあたしは返す言葉を失った。背筋に寒いものが走る。クイーンの怒りよりも今はそのヴィナの気迫の方が怖かった。
「あんたも急ぎなさい。もちろん、礼装でね。」

*     *     *     *     *

 礼装に着替えたあたしがホールに入ったときには晩餐会の用意はすっかり整っていて、あらかたみんな席に着いていた。上座から女王、王女、客人、四守護神・・・へ?
「あ・・・あたしの席は?」
 あたしの席は大抵ヴィナの隣り、マーズの向かいにあるはずなのに。
「あんたは、あっち。」
 ヴィナが指さす先のはるか向こう、末席の近くに一カ所、確かに誰も座っていない席があった。・・・って、何であたしだけぇ?
「自分のやったこと、胸に手を当ててよーく考えてみなさいこのタコ。」
 あたしの疑問に答えるように、またマーズが冷たく言い放つ。マーキュリーは何も言わずテーブルの上の一輪挿しをじっと見つめている。仕方なくあたしは一人離れた席に着いた。
「ジュピター様! どうなさったんですか、こんな所にいらっしゃるなんて。」
 辺りに座していた女王の侍女達が急に色めき立つ。思わずあたしは笑顔を作った。
「ん・・・たまにはお前達と一緒に食事がしたくてね。」
 やがて宴が始まって、どんどん運ばれてくる料理に酒。みんな和気あいあいと談笑しているけど、あたしの気分はあんまり冴えない。
「礼装もなかなか似合ってるじゃないか。みんな、綺麗だよ。」
「まあ、ジュピター様ったら、みんなだなんて。誰が一番かおっしゃってくださいな。」
「誰が一番なんて、そんなの野暮じゃないかい? ほんとにみんな綺麗だよ。」
 やっぱりネフライトよりもあたしの方がまともなこと言ってると思う。なのにあのキザ男はみんなの所で、こともあろうにマーキュリーと楽しげに話してる。面白くない。
「ジュピター様、どうぞ。」
「ああ、ありがとう。」
 隣の娘が水差しを手に酒を勧めてくれる。杯を受けながらもう一度横目でマーキュリーの方をうかがった。彼女はあたしが見ていることに気付くどころか、気にかけている様子もない。
「・・・ジュピター様、何か?」
「ん、あ、いや、何でもない。・・・カリスト、お前、今日は遅番かい?」
「いえ、早番ですが。」
 あたしは周りに聞こえないように声を落とした。
「だったら、後であたしの処へ氷を持って来てくれないか? ついでに酒の相手もしてくれると嬉しいな。」
「・・・はい、喜んで。」
「できれば、着替えずにその礼装のままで。」
 給仕を呼ぶ振りをしてカリストの耳許に口を寄せる。
「ほんとによく似合ってる・・・お前が一番綺麗だよ。」
 かすかに頬を染めてうつむく彼女の仕草は可愛かった。
 酒も料理もどんどん出てくる。宴はまだ始まったばかりだった。

−−−外交問題・終

  


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