悪徳商法にご用心!

深森 薫

  

 KNOCK-KNOCK

 何日かぶりのオフ、あたしは遅い朝食の後、ゆるりゆるりと流れていく時間を楽しんでいたところだった。寝そべったソファーの上、まだ疲れの残る重い体を起こして応対に出る。
 誰だ?
 マーキュリーだったりしたらどーしようか。
 ・・・なんて、ね、んなことあるわけないか。
 ちょっとだけ期待してあたしはドアを開けた。
「はあい♥ ジュピター、おひま?」
 ・・・・・・・・・・
「やぁん、閉めないでぇ。ちょっと、ジュピターったら冷たいわよ」
 あたしのカンに障る黄色い声をあげながら、ヴィーナスはドアの隙間に体をねじ込んで部屋の中へと入って来た。
「あぁぁもう何の用だぁよぉ。とっとと済ましてとっとと帰れ」
「なによ、どうせ暇なんでしょ? デートの約束があるわけじゃなし」
「・・・余計なお世話だ。用がないなら来んなよな」
「ほんっと冷たいわね。人がせっかくいい話持ってきたのにぃ」
 そう言ってわざと可愛らしく拗ねてみせるヴィナ。その手には乗らんぞ。
「お前の“いい話”がろくな話だった試しはない」
「なに、ね。いいものが手に入ったからジュピターにも分けたげようと思って」
「お前の“いいもの”がまともな物だったことが一度でもあったか?」
「そんなこと言わないでさ。・・・ほら、これよ、これ」
 ヴィナは懐から小さな箱を取り出した。
「裏のルートで手に入れた幻の媚薬、その名も『堕天使の誘惑』。結構高かったんだから」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・話だけでも聞こうか」
「そう来なくっちゃ。そういう素直なとこ、好きよ♥」
 ヴィナは嬉しげにぶりっこのポーズで目を輝かせたかと思うと、ぐっと声のトーンを落として話し始めた。
「ここだけの話だけどさ。地球国のヤミ市・・・はっきりした場所はちょっと言えないんだけどね、そこで占いやってる偏屈そうな婆さんがいるのよ。婆さん、つっても地球人のことだからせいぜい百歳かそこらだけどさ」
「ヤミ市、って、ヴィナ、お前勤務中に何やってんだよ」
「いいじゃない、堅いこと言わないの。・・・で、この婆さんってのが裏のルートじゃちょっとした顔でさ、他じゃちょっと手に入らないような物も手に入れてくれんのよ。この薬もそう、表のマーケットには出せないような強力な代物よ」
「へぇ・・・この小汚いのがねぇ」
 あたしは手渡された箱をくるくる返しながらまじまじと眺めた。見るからに粗末な紙で出来たその箱は、ヨレヨレで黄ばんでいる上に所々茶色いシミまでついて、お世辞にもそんなありがたいものには見えなかった。
「ヤミの品物だからね、見てくれが悪いのは仕方ないわよ。それより中身よ、な・か・み」
「ふぅん。けど、そんな怪しげな物、なぁ・・・やっぱ」
 いらない。
 そう言いかけたのを遮るように、悪魔の顔のヴィーナスが微笑み掛けてそっと耳打ちした。
「んなこと言わないでさ、使ってみたら? その婆さんが言うには、『どんな堅物でも、どんなオクテでも、必ず想いが遂げられる』ってよ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・で、あたしに何しろってんだ?」
「さっすがぁ_ ジュピターちゃん、話が早いわぁ。実はね、部屋の模様替えしたいの。手伝ってくれるぅ?」

      *     *     *

「あ、そのキャビネットはこっちね。中のグラス、壊さないでよ」
「壊れちゃ困るもんなら出しとけよな。それでなくっても重いんだから」
 どちらかというと派手好みなヴィナの部屋の調度品はどれも光りものの装飾が思いっきり付いている。それでいて趣味は悪くないんだが、とにかくやたらと重い。その上中身が詰まっていちゃたまらん。
「んー、あたしも忙しくってさ、なかなかね。あ、そのスタンドはこっちね。それに、ジュピターなら中身が入ってても持ち上げられるだろうと思って」
「あのなぁ・・・」
「それからこの机は奥の寝室の方へやってね」
 ヴィナはあたしの非難の眼差しにはいっこうに構わない様子。あたしは仕方なく黙って作業を続けた。
「で、この書棚をキャビネットの隣へ」
 へぇ、ヴィナのことだから本なんか読みやしないだろうと思ってたけど、けっこう偉そうなのが入ってるじゃん・・・って、
「おいっ! 中の本ぐらい出しとけよ! ムチャクチャ重そうだぞ、これ!」
「だってぇ、こんなに沢山の本、出したり入れたりするの面倒じゃない。それくらいなら持ち上がるでしょ?」
「だからってなぁ! 運ぶのはあたしだぞ!」
「いいわよ、じゃもう頼まないから。もちろん『堕天使』の話もなしね。あたしが自分で使うもん」
 ・・・人の足元見やがって・・・
「分かったよ。キャビネットの隣だな?」
「で、ソファーとテーブルを、こう、縦向きにして。・・・ん、居間はこんなもんね。じゃ、次は寝室の方をお願い」
 ・・・ったく、人を顎で使いやがって・・・
 先に立って歩くヴィナの後ろから、しぶしぶと奥の寝室のドアをくぐる。
 ・・・何じゃ、こりゃ。
 泥棒でも入ったのか、この部屋は。
「いくら私室だからってちったぁ片付けろよな」
「んー、まずベッドを窓際に持って来たいのよね」
 ・・・聞いちゃいねえや、人の話。
「あ、そうじゃなくて、頭を窓の方に向けて、縦に。そうそう。それで、ワードローブをこっちの隅へ」
 このワードローブってのがまた、プリンセスとお揃いのやたら豪華なやつだ。プリンセスの部屋の模様替えをやった時一番重かったのがこいつだったもんな。
「んっ、しょ・・・」
 ・・・・・中身、ぎゅうぎゅうに詰まってやがる・・・。
「それで・・・あっ!」
 ヴィナは突然頓狂な声をあげた。
「なんだなんだ?」
「そうかぁ、こっちの部屋にはドレッシングテーブルがあったんだ。・・・じゃ、このテーブルをワードローブの隣りに置いて、この机もう一度居間の方へ出してくれる?」
「おまえなぁっ! そんな思いつきで言うなっ! こっちの身にもなって」
「『幻の媚薬』」
 くそぉぉぉぉっっ! 人の弱みにつけ込みやがって!
「机はここに置いて。すると、さっきの本棚、やっぱり机の隣がいいわね」
「・・・・・・・・・・・」
 ・・・・・・転職しようかな、あたし。どっか、ヴィナのいない所へ。

     *     *      *

堕天使の誘惑

 このたびは「堕天使の誘惑」をお買上げ戴き、誠にありがとうございます。
「堕天使の誘惑」は、古来より惚れ薬として用いられてきたマンドラゴラの根に、孔雀の爪、麝香をはじめとする十七種の動植物より抽出した薬効成分を幻の秘法を用いてブレンドした、最高級の媚薬です。説明書をよくお読みになり、指定の用法・用量に従い正しくお使い頂ければ、今宵あなたに素敵な夢と最高の愉しみ、最大限の悦びを提供することをお約束します。

用  法
成人一人につき本品一回分(一瓶)をそのままもしくは食物・飲物等に混入し投与します。効果は約五〜十五分で現れ、その後一晩(約六時間)持続します。尚、アルコールと併用しますと一層の効果が期待できます。
注  意
本品は通常の薬の二〜三倍の効力がありますので、一度に大量に服用すると健康を害する恐れがあります。決められた用量を越えないでお使い下さい。


 あたしは薄汚れた説明書に目を通し、小瓶の蓋を開けた。琥珀色の液体をほんの少し指先につけて舐めてみる。匂いも味もない。
「よし」
 変な匂いや味が付いてたらバレちゃうもんな。とりあえず合格。
 これでヴィナの言うことが本当なら。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 むふふふふふ♥
「何か言った?」
「え? あ、いや、何でも。その・・・・・・お茶、で、いいよね」
 背後から問う声に、あたしはイケない妄想を抜け出して我に返った。
「あ、うん、ありがとう。・・・綺麗ね、ほんとに」
 彼女は------マーキュリーは、にっこりと微笑んで答えると、再び水槽の中を泳ぎ回るサカナに視線を戻した。「地球産の珍しいサカナ」を見に来る、今日が前々からの約束の日だった。
「こんなのがそこらじゅうを泳いでるなんて、何だか不思議だわ」
「そうだね・・・あたしも初めて見たときは驚いたよ」
 二つのカップに茶を注ぎ、片方に小瓶の中身を空けた。香りにも色にも特に変化はない。これで準備はおっけー!
「その縞模様の奴なんて、誰かが色塗ってイタズラしたんじゃないかと思ったもん。
 ・・・はい、まだ熱いかも」
「あ。ありがとう」
 カップを二つ並べて、あたしはソファーの一角、自分のカップの前に陣取った。しばらく水槽の中を覗き込んでいた彼女はやがてその隣りに腰を降ろす。
 ふふっ。向かい側の椅子を片付けたのは正解だったな。
 そして彼女はいよいよ茶を手に取り、口をつけた。
 バレないかな。
 バレないよな。
 バレてないな。
 よし、さあ一気にぐーっと飲んでくれ。
「・・・・・・何?」
「え? いや、な、何でもないよ。その、お茶・・・あ、いや、えーっと・・・
 そう! お茶が薄かったりしないかなー、なんて思ったりなんかしたりして」
 少し怪訝そうに二、三度瞬きをして尋ねる彼女に、あたしはできるだけ平静を装ってみせた。
「ううん・・・丁度いいけど・・・?」
「そ、そう?  良かった。じゃんじゃん飲んじゃってよ、お代わりいくらでもあるから」
 あたしの努力のかいもなく、彼女の表情はますます疑念の色に曇っていく。
 まずい。このままじゃほんとにバレちゃうかも。どうしよう。
「・・・あ、そうだ。何か、食べるもの、あった方がいいよね」
 とりあえずあたしは席を立ってその場を退散した。
 ・・・とは言ったものの、近頃出張が多くて留守がちなこの部屋には、食べるものはあんまり置かないようにしてるからなぁ・・・・・・あ。
 ラムレーズン見っけ。
 こんなとこに入れてたっけ?
 いつ買ってきたんだろう。
 ま、封も切ってないし、酒に漬けたもんだから腐ってやしないだろう。
 ・・・・・・酒・・・・・・?
『尚、アルコールと併用しますと一層の効果が期待できます。』
 説明書の但し書きがふと脳裏をよぎる。
 ををっ! なんてナイスなタイミング! 今日のあたしって、いつになくツイてるかも。
 急に元気になったあたしは、カップボードの奥から滅多に使わないガラスの菓子鉢を引っぱり出してラムレーズンを盛った。
 よっしゃあ! 完璧!
「ごめん・・・こんなものしかなかった」
 ラムレーズンのガラス鉢を手に、あたしは再び彼女の隣りにどっかと腰をおろした。
「別に、嫌いじゃないよね、ラム------」
 不意に、肩に何かがもたれ掛かる感触があたしの呼吸を止めた。
「マー・・・キュリー・・・?」
 返事はない。まだ十分も経ってないけど・・・これが薬の効き目なのか?
 これだったら、肩に手なんか回してもおっけー! だったりして。
 そぉーっと手を伸ばしてみる。
 ・・・よし、大丈夫。
 そのまま引き寄せて髪に頬を埋めると、甘い香りが鼻の奥をくすぐった。いつも廊下ですれ違う時、かすかに香るフローラル。
『どんなオクテでも必ず想いが遂げられる、ってよ。』
 ヴィナの言葉があっという間に頭の中を埋め尽くした。痛いほどに胸が高鳴る。息苦しくて窒息しそうだ。もう他に何も考えられない。熱に浮かされたようにぼぅっとして、心も体もふわふわと宙を漂っている気分。
 あたしはそっと目を閉じた。辺りには音もなく、聞こえてくるのは彼女の静かな寝息だけ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・寝息?
「・・・マーキュリー・・・?」
 やっぱり返事はない。慌ててその顔をのぞき込んだが、ぴったりと閉じた両の瞼は開くどころかぴくりとも動かない。
「マーキュリー?」
 少し大きな声で呼んで、肩を揺すってみる。
「もしもーし」
 それでも、彼女は力無くあたしに寄り掛かったまま。
「・・・・・・おーい」
 頬を軽くたたいてみても、安らかな寝顔はただ穏やかな呼吸を規則正しく繰り返すだけで、目を覚ます気配など少しも見えなかった。
 ・・・おかしい。
 これだけやっても起きないなんて、まるで睡眠薬でも飲んだみたい
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薬?


 どたどたどたどたどたどたどたどたどたどたどたどた
「ヴィナぁぁぁぁぁぁっっっっっっつ!」
 ばがんっ!
 壁が砕けそうな大きな音をたてて、あたしはヴィナの部屋のドアを蹴たぐった。
「なぁに? 大きな声出して。ノックぐらいしてよね、人の部屋に入るときは」
 形のいい脚をソファーに投げ出したまま大儀そうに答えるヴィナ。
「うるさい! このぉ・・・なぁーにが堕天使の誘惑だ! 彼女眠っちまったぞ!」
「ああぁ、あれね。へぇ、そーなんだ。やっぱり」
 人差し指で髪の毛をくりくりと弄びながら、ヴィナは驚きもせず泰然と言い放った。
「・・・やっぱり?」
「うん、買った時に婆さんが『強力すぎて眠気をもよおすかも』って言ってたからね」
「なっ! お前そんなこと一言も言ってなかったじゃないか!」
「だって、眠くなる『かも』だもの」
「やかましい! あんなインチキ掴ませやがって、どうしてくれる!」
「どーもしないわよ、別に。・・・なーんだ、やっぱり不良品かぁ、がっかり。あれであの堅物マーキュリーが落とせたらあたしも使ってみようかと思ってたのに」
 そう言ってヴィナは長い指で髪をかき上げると、つまらなそうな顔で溜息まじりにぼやいた。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・何だとぉぉぉ?」
 あたしのボルテージは一気に上がった。腹の底がむかむかと熱くなり、ぱりりっと火花の散る音にあわせて後れ毛が踊る。
「さんざんもったいつけやがって、挙げ句にあたしはお前の実験台かよ。えぇ?」
「ジュピター・・・? いやん、ここで暴れないでよね。せっかくきれいに片付けたのに」
 それまでけろりとしていたヴィナの頬がぴくぴくとひきつり始めた。
「誰が片付けたと思ってんだっ!」
 あたしは掌で生まれた光球を逃げるヴィナめがけて投げつけた。
ぐわっっしゃぁぁぁぁぁぁん!
 後ろにあったキャビネットと中の食器が粉微塵に飛び散り、壁には大きな穴がぽっかりと口を開けた。
「ちょっと! 人の部屋で何すんのよ!」
「やかましいっ! いつもいつも人を小馬鹿にしやがって、今日という今日は許さんっ!」
ぼぐごがちゃぁぁぁぁぁんっ!
 今度はベランダへの扉が轟音とともに破れる。爆風にたなびくカーテンの影からピンクの衣が躍り出たかと思うと、柵を跳び越えて階下の庭園へと降りていった。
「逃がすかっ! 今日こそ目にもの見せてくれる!」
 あたしもすぐに後を追う。ベランダの柵を蹴って飛びだしたあたしを、地上で待ち構えるヴィナの指先が狙う。一条の光が透明な闇の真中を切り裂いた。
「をうぁっ!」
 あたしは無理矢理身をよじって何とかそれをかわした。髪の焦げる嫌な匂いが辺りを漂う。
 黙ってやられてばっかじゃいられない、ってか。
 ・・・・・・上等!
 地面に降り立って体勢を立て直しかけたあたしを再び光の矢が狙う。
 なんの!
ばじばぢぎぃぃんっ!
 黄色い光線と蒼い稲妻がぶつかり合い、互いを巻き込むようにして無へと帰っていく。
「そこかっ!」
 あたしは横っ跳び様、光の飛んできた方めがけて即席の雷を投げつけた。
ぶごぐぉぉぉぉぉぉぉんっ!
「ちょっとぉ! 少しは手加減しなさいよねっ!」
「こっちはマジだ馬鹿野郎! 今日こそぶっ殺ぉす!」
どぐぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!
「うきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっつ!」
「逃げるなっ! お前のせいでっ! お前のせいでいつもいつもあたしはっ!」
ごがぁぁぁぁっぁぁぁんっ!
どひゅぅぅぅぅぅぅぅんっ!
ごごごぉぉぉぉぉぉぉんっ!

 宵闇に目が慣れてきたのと、視界を遮る立木や潅木があらかた吹き飛んだのとで、あたしはヴィナを視界の中にとらえた。
 今日こそ息の根止めてくれる。
 あたしは両手を頭上高く掲げた。集中したエナジーはやがて青白い稲妻に変わり、掌で雷球が生まれる。今度のは大きさもパワーも今までのとは段違いだ。
 その間にヴィナは向かいの建物の中へと駈けて行く。
「甘い! 建物ごと吹っ飛ばしてくれる!」
 あたしは渾身の力を込め振りかぶった。
 ・・・・・・建物?
 ・・・・・・って、をい! ちょっと待て。あれ!
 あれ、女王の離宮だ。
「うわっ、たたたたたたたたあっ!」
どげごばしゃざざざじゅじゅじゅうっっっつ!
 とっさに雷球をあさっての方向へ放り出した。光の塊は中庭の真ん中にあった噴水を粉々に砕き、地面をえぐりとる。満々とたたえられていた水は一滴残らず白い煙となって空へと舞い上がっていった。
 うう危ない危ない、ヴィナと一緒にあたしのクビも吹き飛ばすとこだった。
 ・・・はっ。
 そうだ、ヴィナ!
 我に返った時には、すでに奴の姿も気配も見失っていた。

 

 部屋に戻ると、マーキュリーは相変わらずソファーで眠っていた。さっきの爆風のせいかベランダに面した扉のガラスが二、三枚割れていたが、彼女はそんなことにも少しも気付かなかったらしい。
「・・・ちぇ」
 ボヤきながらあたしは、その顔をのぞき込んだ。
「いい気なもんだ、人の気も知らないで」
 初めて見る無防備な寝顔は、何とも言えずただひたすら愛くるしい。
「こんなとこで寝てるとな、悪い奴にとって食われっちまうぞぉ」
 額にかかる柔らかな髪を指先で払い、しばらくその寝顔を眺めていたが、やっぱり目を覚ます気配はない。それでも揺り起こさないように何となく気を遣いながら、あたしは眠る彼女をゆっくり、静かに抱き上げた。
 何て、軽い。
 華奢な人だ、とは思っていたけれど。
 真っ暗な寝室を、居間の方から漏れる明かりだけを頼りに歩き、ベッドの真ん中へ彼女を降ろす。イヤリングと腕輪を外し、帯を緩めた。衣擦れの微かな音に、後ろめたさが心をよぎる。
 胸が締めつけられるような痛み。息苦しい。躰の奥が灼けそうに熱い。
「・・・本当に、とって食っちまおうか、な」
 答えぬ彼女の唇に自分の唇を寄せる。顔にかかる寝息が少しくすぐったい。
 ------欲しい。けど。
 こみあげる熱いものをぐっと呑み込んで、上掛けを彼女の首元まで引き上げた。
 疲れた。あたしも寝よう。たしかここに毛布がもう一枚・・・
 ・・・あった。
 あたしはベッドの下から予備の毛布を引きずり出して、静かに寝室を抜け出した。明かりを消して、ソファーの上で毛布にくるまり眠りにつく。
 ・・・ヴィナ・・・
 今度という今度は絶対許さん。
 明日会ったら半殺しにしちゃる。
 けっちょんけっちょんのぎったぎたにして・・・
 明日は・・・

  

−−−悪徳商法にご用心!・終

初出:『悪徳商法にご用心!』(1998年2月)

  


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