借り
飛鳥 圭
「あっ!」
「きゃっ!」
二つの悲鳴が重なり、どしんという鈍い音と共に、レイの身体は弾かれる様に後ろに飛ばされ、したたかにお尻を打った。
「痛・・・」
頭を押さえながら、小さく2,3度横に振る。
お尻ではなく頭が痛い。もちろん転んだ拍子に打ったものではない。
その前に・・・たしか、目の前に見える角を曲がろうとした瞬間。
「あ・・」
何が起こったかを思い出したレイは、跳ね跳ぶ様に飛び起きると、曲がり角に駆け寄り覗き込んだ。
「っつ・・・」
思った通り曲がり角の向こうに倒れている人がいた。やはり、出会い頭にぶつかったらしい。
「だ・・大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄り抱き起こすレイ。
「・・・・ええ・・・」
「え・・・?」
聞き覚えのある声。腕の中の人も同じ事を感じたのかゆるりと顔を上げる。
視線が、合った。
「・・・ヴィーナス」
「・・・・マーズ・・・」
目の前に居るのは、お互いに今、一番会いたくない人物だった。
「・・・なんで、貴女がこんな所に居るのよ?」
思わず声を荒げてしまったレイに、美奈子はまだ少しふらふらするのか、右手で頭を抑えて小さく振りながら口を開いた。
「・・・多分貴女と、同じ理由よ。」
「え?・・・あ!」
ばっ!と振り返り、精神を集中すると追っていた妖魔の気配を探る。しかし、既に感じる訳は無く。
「逃げられた・・・みたいね。」
レイの失態の様な美奈子の口調が、余計にレイの癇に障った。
「貴女がこんな所にしゃしゃり出てこなければ、とっくに見つけて、倒してたわよ。」
美奈子から手を離し、さっさと立ち上がり距離をとる。これ以上側に居たくは無かった。
「そう。じゃあ、次は任せるわ。」
頭を押さえながらも、ゆっくりと立ち上がる美奈子。だが、次の瞬間。
「・・・・っ」
ぐらりと、その身体が傾く。
「え?」
とっさに伸ばしたレイの両手が美奈子の身体を抱き留める。しかし力を無くした、自分と同じ位の体格の少女を支え切れる筈は無く、そのまま、レイの身体は美奈子を抱き締めたまま、ずるずると座り込んでしまった。
「ち、ちょっと。ヴィーナス・・・」
「・・・・・・」
蒼い顔。ぶつかった時に何処か打ったのかと不安になる。
「ねえ・・ヴィーナスってば。」
その肩を小さく揺するが返事は無い。瞳は難く閉じられ、長い睫毛が微かに揺れていた。
もしかしたら、意識を無くしているかもしれない。
急に湧き上がった恐怖に、レイは思わず声を荒げていた。
「・・・誰か、救急車を・・」
美奈子の頭を包み込む様に抱き締めて叫ぶ。少し離れたホテルのドアマンらしき人達が、彼女の声に気付いてか、こちらに向かって来るのが見えた。
しかし、
「止めて!」
美奈子の右手が、抱いているレイの上着の袖を引っ張る。苦しげな声音だが、意識はまだある様だ。
「・・・医者は・・・呼ばないで・・・」
こんな時に何を言っているのかと、一瞬思ったが、美奈子の瞳は真剣だった。本当に、医者に診られたくはないらしい。
「・・・・分かったわ・・・」
レイの言葉に安堵したのか、美奈子は今度こそ意識を手放した。
じわりと意識が浮上してくる。だけど、まだ何処か痛くて、何処かぼんやりとして、美奈子はゆるゆると瞳を開けた。
「気が付いたみたいね。」
声のした方向へ気だるげに頭を動かす。それだけで落ちてゆくような感覚に襲われる。
「・・・マー・・・ここは・・・?」
「ホテルよ。大変だったんだから。」
室内の造りや装飾で、ホテルの一室らしい事は理解した。
レイの声を聞いたドアマン達が美奈子を運んでくれた。幸いな事に、父親と何度か食事をした際に使った事のあるホテルだったので、フロントマネージャーがレイの顔を覚えていてくれていた。
後、倒れたのが愛野美奈子だと言う事で、騒ぎにせずにすんなりと部屋を貸してもらえたそうだ。
「医者。本当に呼ばなくて、良かったの?」
確認する様に聞いてくるレイ。どこか心配そうな響きを含んでいるのは気のせいか。
「・・・大丈夫よ。ちょっとした疲労だから大した事無いわ。」
レイの説明を聞いている間に、かなり思考がハッキリしてきた。
「それより、今、何時?」
「え?」
言葉の意味が判らず思わず聞き返すレイに、
「い・ま・の・じ・か・ん。」
まるで外人に日本語を教える様な口調で、繰り返す。
一瞬、レイはその口調にムッとしたが、病人相手に大人気無いと無理やり自分に言い聞かせ、しぶしぶベッドサイドに設置された時計の時刻を口にした。
「・・・・・・四時、四十・・・」
「五時に起こして。」
はぁ?と言う表情で時計から目を離し、美奈子の顔を覗き見る。
しかし、彼女はもう、寝息を立てていた。
「・・・・・・」
暫らく、唖然と立ち尽くしていたが、やがてふう、と一つ溜め息を付き、ベッドの横に椅子を引き寄せ腰掛けると、目の前で眠る愛野美奈子を見つめた。
『確かに、綺麗な顔してる。』
何時もは感情が先に立ち、こんなにまじまじと彼女の顔を見た事が無かったが、改めて見ると本当に綺麗だと思う。アイドルなんて可愛いだけかと思っていたが、美奈子は違っていた様だ。
でも、何故だろう。美奈子の寝顔に死の影が見える。
『疲労?』
彼女はそう言っていたが、本当にそれだけだろうか?ざわざわと心の中で何かが蠢く。
それが何か分からないまま、いつの間にかレイの顔は、美奈子の顔を覗き込む様近付いていた。
ふっと、美奈子が瞳を開けた。
「あ・・・」
思わずレイの口から声が漏れる。二人の顔は、いつの間にか鼻先が触れ合うくらい近くにあった。
美奈子が表情を変えずに口を開く。
「キスでも、したいの?」
「え?」
一瞬、訳が分からないといった顔をしたレイだが、美奈子の言葉の意味を理解した途端、その顔が真っ赤に染まる。
「・・・んな訳、無いでしょ!」
身体を離し、怒りにも似た口調で文句を言う。
「そう?アイドル愛野美奈子とキス出来るなんて、滅多に無い事よ。」
口元に笑みを浮かべたまま、ゆっくりと身体を起こしながら問い掛ける。
「私。アイドルなんかに興味無いもの。」
「・・・じゃあ・・・」
言いかけた言葉が、美奈子の中の前世の記憶を引き寄せる。
「男なんて興味無いわ。」
相変わらずの切り捨て口調のマーズに、微笑を浮かべたまま問い掛ける。
「・・・じゃあ、私は?」
一瞬、マーズに浮かんだ驚きの表情。そんな彼女の反応をヴィーナスは目を細めて見つめる。
まるで、楽しむかの様に。
かすかに頬を染め、視線をそらせるマーズ。
「 」
唇は動いているのに、声は、聞こえない。
彼女は、あの時、何を言ったのか。
マーズの生まれ変わりである目の前の少女に、あの時と同じ言葉を問い掛ければ、彼女は同じ言葉を返してくれるだろうか?
「好き」?それとも「嫌い」?
もしかしたら、彼女の口癖の「興味無い」かもしれない。
だとしたら、怖い。でも・・・
「ヴィーナス?」
思わず黙ってしまった美奈子の態度が気になったのか、少し怪訝な顔をしたレイが聞いてくる。
「何でも・・・無いわ。」
平静を装う。
でも、この空間は狭すぎて、すでに彼女の気配が充満している。
早く此処から出なければ・・・
このままでは、無理矢理にでも力付くで抱きしめ、彼女の全てを奪いたくなる。
甘く、苦しい感覚。
「もう、大丈夫よ。」
そう告げて、ベッドを降りる。
「でも、まだ顔色が・・・」
美奈子の気持ちを知らないレイは、心配してくれている。この気持ちに気付けば同じ言葉を言ってくれるのか?思わず自嘲気味な笑みが浮かぶ。だから、
「大丈夫よ。それにこれでも、忙しいの。」
その言葉で、自分の気持ちを押さえ込む。レイは「そう。」と、一言呟やくと追求を止めた。
「あっ!」
美奈子の体調が良くなったので、チェックアウトの為に乗り込んだエレベーターの中で、レイは思わず声を上げた。慌てて口を押さえたが、幸いエレベーター内には美奈子とレイの二人しか居なかった。
「何?」
「・・・な、何でも無いわ・・・」
訝しげにレイの顔を覗き込んでくる美奈子から視線を逸らしつつも、心中穏やかではない。
そう、レイは美奈子が倒れた事で慌てていた。だから、忘れていた。
ホテル代の事を。
『今、幾ら持ってたっけ?』
美奈子に気付かれない様に平穏を装いながら、財布の中の全財産を必死に思い出そうとする。
いざとなったら父の名を出せば済む事。しかし、それだけは絶対にしたくない。
そんな事を考えている内にエレベーターは1階ロビーに辿り着く。
後は、フロントに行って、会計を済ませば良いだけ。足りなかったらその時に考えよう。レイは覚悟を決めた。
と、レイの斜め後ろを黙って付いて来ていた美奈子が、レイの手からカードキーを取り上げると、足を速めそのままフロントに直行した。
「え?ちょっと・・・」
慌てたレイが追い付いた時には、美奈子は自分のバックから取り出したカードをカードキーと共にフロント係に渡していた。
「何してるのよ?」
思わず声を荒げたレイとは対照的に、
「何って、支払いよ。」
美奈子はさらりと答える。
「だから・・・何で貴女が払うのよ?」
「・・・“借り”は作りたくないの。」
どこか、抑え込んだ声音。
「それは、私だって同じよ。」
「じゃあ、“今度”返して。」
レイの瞳を見詰めたまま口元だけで微笑む。
それは、レイにだけに見せる、レイの為だけの微笑。
「・・・・か・・えすわよ。必ず・・・」
その微笑に魅せられた様に見詰めていたレイだが、我に返るとどうにか、それだけを口にする。
「楽しみに・・・してるわ。」
美奈子は再び無表情にそれだけ言うと、レイに背を向けた。彼女の肩越しに、ロビーの方から背広に身を包んだ付き人らしい若い男が、駆けて来るのが見えた。
合流した二人が、何を話しているのかは聞こえない。
ただ一度だけ、美奈子の視線がレイに向けられたが、気付かなかった振りをして、美奈子が去って行くのを、レイは黙って見送った。
「・・・“借り”は作りたくないの。」
美奈子の言葉が、頭の中で繰り返される。
「・・・・・・・」
やはり、気に入らない・・・・はずなのに・・・
そっと自分の唇を、指先で、触れる。
触れる位に、近付いた、互いの唇。
嫌じゃなかった自分に気付く。
「やっぱり・・・大っ嫌い。」
呟いた言葉は、真実なのか。
それは、レイ自身にも分からなかった。
----fin.
◆ ◇ ◆
後(悔)記
やっと完成しました。キリリク910。大変遅くなって申し訳ありません。
リクエスト内容は「実写版美奈レイ」BBSが一度消えてしまったので、細かな内容は憶えていません。(すみません)
でも、実写版の二人の関係は一番好きなので、書いてて楽しかったです。今まで書いたSSの中で一番長い話になったと思いますし。
唯、美奈子の秘密がずっと隠されていたので、とっかかるのは遅くなっちゃいました。
今じゃもう、バレちゃってるんですけどね。
こんな所で、宜しいでしょうか?ダメって言われても困るけど・・・(苦笑)
(UP:08/17/04)
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