† 見舞 †

飛鳥 圭

  

「・・・失礼します。」
 低い声と共に、カラカラと軽い音を立て保健室のドアが開く。
「・・・・・・・・・・あ・・れ・・?」
 既に放課後になっている校内に生徒が残っているとは思ってはいなかったが、見渡した室内に目的の人物も居ない事に、思わず間抜けな声を出す。
「今日はほたる、来ませんよ。」
 その反応に、室内に居た白衣の主が微笑を浮かべたまま、低く落ち着いた声で答える。
 その人は、冥王せつな。十番高校の校医であり、土萌ほたるの保護者でもある。
「・・・いえ・・そんなつもりじゃ・・」
 少し慌てた口調で答えると、リアクションに困りそのままポリポリとその煉瓦色の髪を掻いた。
 彼女の名は、柴・新月・アスタルテ。
 日本人離れした白い肌も煉瓦色の髪も、少しきつめだが整った顔立ちによく似合っている。
 その外見と名前の為、よくハーフに間違われるが、正確にはクォーターである。4分の3が日本人なのだが、ハーフだった母よりもフェニキア人の血を引くと云われていた祖母に似ている。
 もっとも、彼女自身は日本生まれの日本育ちで、中身はどこまでも「普通」の日本人である。

 いや、であった。の方が正しいか。

 彼女、柴・新月・アスタルテは2学期の終わり、後1ヶ月程で夏休みに入る頃にこの十番高校に転校してきた。そして、うさぎ達との出逢いにより、また自分自身の運命を受入れる事により、セーラーアスタルテとしての新しい守護力と使命を手に入れた。
 だが、彼女の存在は内部4戦士よりも外部4戦士に近い。とりわけ同じ様な宿命をもっていたほたるに対しては、誰よりも心を許していた。
 その為か授業が終わると、冥王先生の元に遊びに来ていたほたるの居るこの保健室に、暇さえあれば通っていた。
「・・・あの・・ほたる・・何か用事でも・・・?」
 十番小学校に編入してからも、余程の事が無い限り小学校が終わると、冥王先生に逢いに来ていたほたるが居ない事について、アスタルテは思わず聞いた。
「いえ・・用事では無く、今日は学校を休んだので、家で大人しくしているだけです。」
「休みって・・・病気、ですか?」
 昨日はあんなに元気だったのに。と、急に不安が湧き上がる。
「いえ。そうではありません。ただ、今日は写生大会だったのです。」
 少し、困った表情を浮かべて、冥王先生が説明する。だが、
「・・・・ほたる・・・絵、苦手なんですか?」
 とてもそうは見えないが、ズル休みをするほど絵を描く事が嫌いなのかと、思わず悩むアスタルテ。
「いえ、それならばまだ良かったのですが・・・。」
「・・・・・・・え?」
「写生大会の場所が、動物園・・・なんです。」
 余計に意味が解らないと言う表情をするアスタルテに、少し悲しげな笑みを浮かべた冥王先生は、その理由を話し始めた。

  

  

「え?」
 インターフォンからのチャイムの音に、土萌ほたるは我に返った。思わず掛け時計に視線を移すが、まだはるか達が帰ってくる時間では無かった。
 こんな時間に誰がと思いつつ、描きかけの画用紙をテーブルに置き立ち上がる。そこには動物図鑑の表紙を飾っているライオンの写真を、そのまま写し取ったかの様な鉛筆画が描かれていた。
 ほたるはリビングの壁に設置されているインターフォンに近付き、来客を確認する。
「・・・アスタルテ。どうしたのですか?」
「・・・・・・あ・・と・・」
「すぐに、開けます。上がって来て下さい。」
 意外な訪問者に一瞬驚いたが、彼女の口下手はよく理解しているので、ほたるはすぐに対応し、マンション入り口のロックを解除した。
 アスタルテが、海王の表札のかかっている玄関の前に辿り着いた時、静かにその豪華な扉が開かれた。
「いらっしゃい。どうしたのですか?」
 どこか冥王先生に似た、落ち着いた口調で問い掛けてくる。幼さはあるが、日本人形を思わせる綺麗な顔立ちの少女。
「え、・・・・と・・。その・・。」
 勢い込んで来たものの、ほたると顔を合わせると言葉が出ない。と、
「・・・せつなママから、聞いたのですね。私が今日、学校を休んだ理由を。」
「・・・・・・」
 何もかも見透かした様なほたるの言葉に、ただ小さく頷くアスタルテ。
 冥王先生の言葉が思い出される。

  

  

「貴女は、ほたるの『守護力』を知っていますよね。」
 静かに頷くアスタルテに、軽く微笑み返すと、言葉を続けた。
「では、ほたる・・・サターンの持つ属性・・・いえ、その存在自体が《闇》である事も?」
 再び頷くが、その二色の双眼が何かに気付いた様に見開かれ、冥王先生に向けられた。
「そう言う、事です。・・・」

 たとえ、人間に飼い慣らされても、野性の本能は忘れない。
 獣達は、ほたるの中の《サターン》を、恐れ、怯える。

  

  

「そんな顔、しないで下さい。私は平気ですから。」
 ほたるが逆に心配するくらい、情けない表情をしているのかと、アスタルテは思った。
「・・・ごめん・・・」
 低い声が、ぼそりと謝る。
「いいえ。それに、小さな頃は・・・まだ覚醒する前は、本当のパパとママが居た頃は、動物園とかによく一緒に連れて行って貰っていたから、想い出は・・・有るんです。」
 全てを悟り切った様な、諦めた様な少女の瞳が微笑む。
「・・・ほたる・・・」
 言葉が見付からない。自分にはずっと年下のこの少女を、慰める方法すら思い付かない。
「・・・・・・・・・・」

 玄関先、向かい合ったまま沈黙の時間が、過ぎて行く。

「あの・・・きゃっ」
 先に沈黙を破ったのはほたるの声だったが、それはすぐに小さな悲鳴に変わった。
 アスタルテが、左手に持っていた大きな袋を急に目の前に突き出したからだった。
「え・・・?これは?」
 ビックリしながらも、問い掛けるほたる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・見舞い・・・・」
 俯き気味のままぼそりと呟き、ほたるが受け取ったのを確認すると、くるりと背を向けエレベーターホールへと向かう。
「あ・・・アスタルテ?」
 慌ててその名を呼び玄関を飛び出すが、アスタルテの姿は既にエレベーターの中に消えていて、
「・・・・お茶くらい、一緒に付き合ってくれても良かったのに・・・」
 小さく脹れたほたるの文句だけが、広い通路に取り残された。

  

  

「ただいまー。」
 聞き慣れたはるかの声が、玄関からリビングに入ってくる。
「ほたる。いい子にしていた?」
 その後ろからみちるの声が続く。心配していたのかいつもより早い帰宅だ。
「お帰りなさい。」
 どこか上機嫌なほたるの声が二人を迎える。
「ほたる♥ 大人しく・・・わぁ!」
 先にリビングに入ったはるかの声が、驚きに変わった。
「はるか?どうしたの?」
 はるかの声に驚きながらも、リビングを覗き込んだみちるも動きを止めた。
「どうしたの?はるかパパ。みちるママ。」
 言葉を失くし、リビングの入り口で立ち尽くしている二人に向かって、ほたるは楽しげに声を掛ける。
「ほたる・・・それ、如何したんだ・・・?」
 漸く、口を開いたはるかは室内を指差す。
 はるかが驚いたのは無理も無かった。リビングのソファーもテーブルの上も、勿論ほたるの腕の中も、手の平に乗る位の小さな動物のぬいぐるみで、埋め尽くされていたからだ。
「これ?アスタルテからの、お見舞い。」
 何時もはあまり見られない、極上の子供の笑顔で答えるほたる。
「・・・お見舞い?」
「うん♥」
「・・・・・何考えてるんだ、あいつは・・・」
 溜め息付きの呆れ声で、はるかが呟く。
「多分、せつなから聞いたのよ。ほたるの事・・・だから、見せてあげたかったのじゃないかしら。動物達を・・・」
 静かなみちるの声が、はるかの肩越しにアスタルテのフォローをする。
「・・・だからって、限度があるだろ。ほたるだって、言ってくれればこんな物幾らでも・・・」
「彼女からの『お見舞い』だから嬉しいのかもよ。」
 思い切り不機嫌な顔をしているはるかの横で、みちるはくすくすと笑った。
「・・・でも、本当に凄い数ね。何だか、お店中のぬいぐるみを買い占めてきたって感じ。」
 ひとしきり笑った後、みちるは近くに転がっていた子豚のぬいぐるみを拾い、呟いた。

  

  

「・・・・・・・・・・・・バイト、探さなきゃ・・・・・・」
 ほたるの為とは言え、開かれた預金通帳の残高を眺めながら、アスタルテは一人深―い溜め息を付いていた。

---了

(UP:01/04/04)

柴って誰!? という方はこちらをご覧下さい。