§5 The Demon of Gryffindor

深森 薫

「今日の実習だが」
 グリフィンドール寮とスリザリン寮、合わせて数十人もの生徒がいるにも関わらず、水を打ったように静かな地下牢教室。
「前回予告した通り『安らぎの水薬』を調合する」
 石造りの部屋に、老教師のテノールだけが響きわたる。
「えー、諸君も知っての通り、『安らぎの水薬』の調合は、過去何度も普通魔法レベルO.W.L.試験に出されておる。手順書が正しく読める英語力と、人並みの注意力、人並みの慎重さ、人並みの正確さがあれば普通は失敗しないし、ましてや危険なことなどある筈がない。……ないのだよ、普通は」
 恰幅の良い老教師が溜息混じりにそう言うと、生徒達の間に緊張が走る。実際、魔法薬学はホグワーツの全授業の中で、箒での飛行訓練さえも抜いてトップクラスに事故率が高いのだ。発火、爆発、異臭、発煙、おかしな副作用−−四年生ともなると、大抵の生徒がそういった事故を目の当たりにしたり巻き込まれたりした経験があるものだ。一年生とは心構えが違う。
「必要なものは、大鍋、かき混ぜ棒、安全手袋、薬瓶、杖、そして教科書。以上、一つでも忘れた者は、今すぐ教室から出なさい。また来週会えるのを楽しみにしている」
 教師の一言で、数人の生徒が苦い顔で教室を出ていった。
「一テーブルの人数は八名を上限とする。では、各自必要な物を持ってテーブルに移動しなさい」
 教師の号令で一斉に動き出した生徒達の、ごく控えめに交わしあう言葉がさざめきとなって柔らかに部屋を満たす。
「あー、よかったぁ」
 笑顔を見せたのはセレーネ・アルジェント、長いブロンドの髪を二つのお団子付きのツインテールに纏めたスタイルが印象的なグリフィンドール生。マーズ・フレアのルームメイトである。
「マーズちゃんのおかげで追い出されずにすんだよぉ」
 両手で抱えた大鍋の中で、かき混ぜ棒がからんと音を立てた。
「あんたねぇ。いい加減、薬学の授業に要るものくらい覚えなさいよ」
 何年学生やってんのよ、と呆れたようにマーズ。どうやら彼女は、授業の度にセレーネの忘れ物チェックをやっているようだ。二人は手近なテーブルに移動すると、持参した道具一式を置いて隣同士に陣取った。他のグリフィンドール生達も次々にテーブルにやって来る。
  ばたばたがちゃがちゃがちゃ
「マーーーーーズちゃあーーーーん!」
 と、人の群をかき分け、激しい騒音とけたたましい声が近づき、
  がちゃんっ!
「お隣取ーーーった!」
 マーズの隣に、道具一式を突っ込んだ大鍋を勢いよく置いた。ヴィーナス・クロム、スリザリンのクィディッチ・スター。勇敢にも、グリフィンドール生達の真っ只中に単騎で突っ込んで来たようだ。
「うるさい」
「いやん、つれない! マーズちゃんのいけずー!」
 海の水よりも塩辛い対応をするマーズの、首にするりと両腕を回して思い切り抱きつくヴィーナス。
「っ、うざい! 暑苦しい! 離れなさい!」
「やーだー!」
 ヴィーナスを押し退け引き剥がそうとするマーズの手よりも、抱きつくヴィーナスの腕の方が強い。流石はアスリートである。
「あっ、ヴィナちゃんだー。やっほー!」
「やっほー。セレーネ今日もかわいい、天使!」
 脳天気に手を振るセレーネに、ヴィーナスもマーズの首にしがみついたまま同じテンションで手を振った。
「えへへー。ヴィナちゃんもかわいいよ!」
「あんたたち人の耳元で暢気に会話してんじゃないわよ! うるさい! 邪魔!」
 キレ散らかすマーズにお構いなく、ヴィーナスは彼女の耳元に唇を寄せ、
「……マジな話、この頃ファンの子達がちょっと過激でウザいのよ。今、この時間だけでいいから匿って」
 押し殺した声でそう言った。マーズがさっと視線を巡らせると、スリザリンの女生徒の一団がひそひそと言葉を交わしながらこちらを睨んでいる姿が目に入る。
「だからって。なんで私の所に来るのよ」
「マーズなら少々火の粉がかかっても平気でしょ?」
「迷惑かける気満々じゃない」
 眉間を押さえて、マーズ。
「大丈夫よぉ。『魔王』様に手を出すようなバカ、そうそういないわよ……た・ぶ・ん」
「またいい加減なことを」
「皆、位置についたかの? では、各自、教科書の『安らぎの水薬』の項を開きなさい」
 マーズの文句は教師の声に遮られ、ヴィーナスはするりと腕を解くと機敏な動作で大鍋から教科書を取り出す。マーズも盛大な溜息を一つついて、素早く教科書を開き、隣であたふたするセレーネに何ページを開くべきか教えてやった。
 『グリフィンドールの魔王』。いつ、誰がマーズのことをそう呼び始めたのかは分からない。生徒も教師もほぼ全員が魔法を使えるこの学校において、何故自分だけがそんな有り難くない二つ名で呼ばれるのか。彼女は理解に苦しんだが、その威光のお陰でおかしな輩に絡まれることもなく、平穏な学校生活を送れているのも確かかもしれない。今更、わざわざそんな物騒な徒名あだなの持ち主に喧嘩を売る馬鹿などいないだろう――

「あんたねぇ!」
 ――いた。
「『グリフィンドールの魔王』か何か知らないけど。調子に乗ってんじゃないよ!」
「何よ、今日の薬学の時間のあれ! 何であんたなんかがヴィーナス様と仲良くしてんのよ!」
 魔王に絡んでくる馬鹿が、しかも三人も。……いや、三人もいるから、気が大きくなっているのかもしれない。
「どうやってヴィーナス様をたぶらかしたの!」
 図書室に行った後、トイレに寄って出てきた途端にこれである。マーズは額に手を添え、うんざりしたように長い溜息をついた。
「見てたんなら分かるでしょ。あのバカが勝手に」
「口答えすんじゃないよ!」
 一番態度が尊大な、蜂蜜色のウェーブヘアの少女が鋭い声で遮る。自分で訊いておいて答えるなとは、まるで訳がわからない。
「ヴィーナス様をバカ呼ばわり!?」
「なんて無礼なの!? 信じられない!」
 怒りのポイントも意味不明だ。さながら狂信者である。
「で? 貴女達、私にどうして欲しいわけ」
「へぇ? 意外に素直じゃない。いい子ね」
 栗色のショートヘアの少女がわらう。
「二度とヴィーナス様に近づかないこと」
 ブロンドの少女が睨む。
「話すのも禁止。手を触れるなんてもってのほかよ」
「そう。言いたいことは分かったわ」
 マーズはそう言って腕組みをすると、
「貴女達がどうしてそんなことを望むのかは全く理解できないし、従う気も毛頭ないけど」
 ふん、と鼻で笑って肩を竦めた。三人は驚いたように目を見開き、たちまち憤怒に顔を歪める。
「舐めた口きくんじゃないわよ、偉そうに!」
「……どうやら、痛い目をみないと分からないみたいね」
 リーダー格の、蜂蜜ゆるふわヘアの少女が杖を取り出し、二人がそれに倣う。
「『裂けよディフィンド』!」
 呪文とともに少女の杖から魔力の刃が飛び出す。物に当たれば物を引き裂き、人に当たれば皮や肉を切り裂く魔法だ。
「『護れプロテゴ』」
 ほぼ同時に、マーズが呟く。
 少女の繰り出した魔法の刃は、マーズに当たる寸前で見えない壁に弾き返され、少女自身を襲った。
「痛っ!」
「『裂けよディフィンド』!」「『撃てフリペンド』!」
 取り巻き達も魔法を繰り出す。
「きゃっ!?」「ぐっ!」
 彼女達の繰り出した魔法もやはり、マーズを捉える前に弾き返された。一人は魔法の刃で腕を切られ、一人は勢いよく後ろに突き飛ばされる。
「これ……盾の呪文!?」
 リーダー格の少女が、切られた肩を押さえながら呻くように漏らした。ガキ大将として子分を従えているだけあって、すぐに状況を飲み込める程度の実力はあるようだ。
「嘘でしょ。杖も持ってないのに、そんな高等魔法」
「別に、杖は無くても魔法は使えるのよ」
 知らないの、と、殊更につまらなそうにマーズが言う。確かに杖がなくとも魔法は使えるが、それは熟練者の話である。魔法学校の普通の四年生は、簡単な魔法でも杖がなければまともに発動しない。ついでに言えば、盾の呪文は杖を使ったとしても普通の四年生には難しい部類の呪文だ。
「そんな」
 リーダー格の少女の顔が、みるみる青ざめる。この黒髪の同級生の実力たるや、「優秀」「できる」などという生易しいものではない。次元が違いすぎる。
「魔王、って、そういうこと……」
「っ、よくもやってくれたわね!」
「どんなインチキしたのよクソ女!」
 完全に戦意喪失した少女の後ろで、自分の魔法を食らったブロンドの少女と栗毛の少女が、怒髪天を突く勢いでマーズに向かって杖を構える。
「ちょっ、やめな!」
「『口よ、消えよオスコーシ』」
 マーズの唇が“力あることば”を紡ぐと、二人の少女の顔から口が消えた。十代の少女らしい滑らかな肌が、鼻の下、口があるべき場所を覆っている。
「ひぃっ!」
 異形となった子分達の顔を見て、ガキ大将は恐怖に顔を歪めた。二人の少女も、互いの顔を見て恐怖の色を双眸に浮かべる。
「『浮遊せよウィンガーディアム・レヴィオーサ』」
 畳みかけるように、次の魔法。二人の体が宙に浮き、激しくばたつく手足が虚しく空を切った。
「もうやめて! 鬼! 悪魔! 人でな――」
 リーダーの少女の喚く声が不意に途切れる。彼女の口も消失したのだ。そして、仲間と同じように体が宙に浮く。
 彼女は驚愕の眼差しでマーズを見た。
 呪文が、聞こえなかったのだ。
「……都合のいいおつむをしているのね。私に喧嘩を売ったのは貴女達だし、大勢で一人を痛めつけようとしていたのも貴女達なのに」
 マーズは呆れたように長く深い溜息をつくと、リーダー格の少女の前に歩み寄った。
「〜〜〜〜!」
 いやいやをする幼児のように首を振る少女。宙に浮いている身では、いくら藻掻こうとも手足はただ虚空を掻き回すのみ。
「『傷よ、癒えよヴァルネラ・サネントゥール』」
 マーズは彼女の肩に指先を向けると、小さく歌うように呪文を唱えた。弾き返された自分の魔法で切り裂かれ、血で汚れた制服とローブが綺麗に直ってゆく。その下に隠れた肩の裂傷も、跡形無く癒えている筈だ。
「……ヴィーナスが、困っていたわ」
 もう一人の傷を同じように処置して、マーズはゆっくりと口を開いた。
「自分と言葉を交わした人間が次々に貴女達に痛めつけられるから、誰とも会話できない、ってね。貴女達の目的は、ヴィーナスに嫌がらせをすることだったの」
 すっかり大人しくなった少女達は、為す術もなくぷかぷかと宙に浮いたまま、涙目で首を横に振る。
「そう。なら、二度とこういうことはしないことね」
 分かったなら応えなさい、とマーズが命じると、少女達は激しく首を縦に振った。
「そう。それなら……『元に戻れレベルテ』」
「きゃっ!」「ひぇっ!」「痛っ!」
 マーズが呪文を唱えると、少女達は一斉に石の床の上へ墜落する。再び元の場所に出現した彼女達の口から最初に漏れたのは、短い悲鳴だった。
「……ああ、そうそう。大事なことを一つ言い忘れていたわ」
 床にへたり込み、自分の顔に口が戻ってきたことを両手で触れて確認する少女達を、マーズは鋭い眼光で見下ろしながら言葉を継いだ。
「例の授業の時、私の隣にいたお団子頭の子を覚えているかしら。あの子、私のルームメイトなのだけど」
 すっかり戦意を喪失して子猫のように身を寄せ合う少女達に、
「もし、彼女に手を出したら。私への宣戦布告として、今度こそ本気で受けて立ってあげるから」
 マーズはそう言って、懐から杖を取り出して見せた。
 神秘的な組紐模様が全体に刻まれた、象牙色の杖。
「その時は、覚悟なさい」
「ひぃぃぃっ!」
 『魔王』の凄絶な微笑みに、スリザリンの少女達は卒倒しそうなほど縮みあがった。
「では、ごきげんよう」
 マーズは杖を収めると、そう言って踵を返し、ゆったりとした歩調でその場を後にした。

「マーズ」
 食堂広間へと続く回廊で、待ちかまえていたようにヴィーナスが声を掛けてくる。
「お疲れさま」
「本当よ、もの凄く疲れたわ」
 マーズは深く長く溜息をついた。実際、杖を使わずに魔法を使うと、杖を使った時よりも効き目が落ちる上に、魔力や精神力の消耗が激しいのだ。
「大体、貴女のファンなんだから、貴女がちゃんとしつけなさいよ」
「んー。あたしの前ではみんな猫かぶって、中々尻尾をださないのよね」
 ヴィーナスは人差し指を顎に当て、少し気怠そうなマーズの苦情をはぐらかした。
「それに、ほら。こういうのって、他の人からガツンとやって貰った方が効き目があるじゃない?」
 マーズは眉間を形の良い指で押さえ、また深い溜息をついた。
「……バタービール」
「ん?」
「バタービール二杯でチャラにしてあげるわ」
 魔法界のイケてるティーンエイジャーなら皆知っている、ホグズミード村の甘いノンアルコール飲料、バタービール。友達にバタービール奢るからと言えば、大抵の頼みは聞いて貰えるし、大抵のことは許される。
「いいけど。二杯も飲んだらトイレ近くならない?」
「ひとりで二杯もいっぺんに飲まないわよ。一杯はセレーネの分!」
 あぁぁもう、と苛立ち混じりの溜息をつくマーズ。余程疲れているのか、キレ方にいつものキレがない。
「それって」
 満面の笑みで、ヴィーナス。
「一緒にホグズミードに行こう、ってお誘いよね? ね?」
「……やっぱりバタービール代は現金で頂戴」
 真顔ですたすたと歩き去るマーズ。
「あーん! マーズちゃんのいけずー!」
 大型犬が飼い主にそうするように、ヴィーナスはマーズの背中に飛びついた。
「ちょっ、重い! うざい! 暑苦しい!」
「ホグズミードに一緒に行くって言うまで離さなーい」
「ああもううるさい! 行く! 行くから離れなさい!」
 夕日射し込むホグワーツ城の回廊に、魔王でもスターでもない少女達の戯れる声が響き渡った。

§5 The Demon of Gryffindor ――Fin.

  


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