§4 Friends and Foes

深森 薫

 マーキュリー・ジェイは、食堂に現れるのも食堂を出て行くのも早い。
 基本的に一人で行動する彼女は、誰かと待ち合わせて一緒に食堂に入る必要もなければ、食事中に歓談することもないし、他の誰かが食べ終わるのを待つ必要もない。一緒に食卓を囲んでもいい、と思える人間がいないわけではないが、寮で席が分けられている以上それは叶わない。食事は生命維持のための栄養補給。そう割り切って、出入りしやすい場所に陣取り、必要なものを必要なだけ食べ、さっさと出て行く。それが彼女の常であり、今日もいつもと同じようにそうして食堂を出たところだった。

 食堂の前のホールに、人だかりができていた。普段のマーキュリーなら気にも留めず足早に図書室へ向かうのだが、
「てめえもういっぺん言ってみやがれ!」
 聞き覚えのある声がホールに響きわたったところで彼女は思わず足を止めた。そして、これも彼女には珍しく、わざわざ人混みをかき分けて声の聞こえる方に向かってゆく。
「出鱈目もいい加減にしろよこの野郎!」
 騒ぎの中心にいたのはやはりジュピター・フォレストだった。つい最近知り合ったばかりのハッフルパフ生で、マーキュリーもまだ彼女について多くを知っているわけではない。同学年で、クィディッチの選手で、ポジションはビーター。飾り気のない人柄で、思っていることがすぐ顔に出る。
「スリザリンがお前等達みたいなカスチームに負けるわけねぇんだよ、普通はな!」
「どう考えてもおかしいだろ!」
「どんなズルして勝ったんだ? え? 正直に言やぁ許してやるよ!」
 相手はスリザリンの男子生徒達三人。今にも殴りかかろうとする彼女をハッフルパフのチームメイトと思しき生徒達が三人がかりで必死に押さえ、辛うじて「口」喧嘩で収まっている状態だ。
「魔法使いの癖に殴り合いかよ。さすが穢れた血マドブラッドはやることが違うな!」
 スリザリンの三人組の中で一番長身の生徒が、目を剥いて舌を出す。
「……上等じゃねぇか」
 ジュピターは虎が唸るようにそう言うと、仲間達の手を勢いよく振り解き、懐から杖を取り出した。
 スリザリンの、残りの二人が顔を見合わせてほくそ笑む。
「決闘でも何でも。受けて立ってやるよ」
(不味いわね)
 マーキュリーは眉を顰めた。本人に確認した訳ではないが、生まれの話はジュピターにとっての逆鱗だ。怒りのメーターの針が振り切れて、完全に目が据わっている。このままでは本気で相手を傷つけるような魔法を撃ちかねない。
「面白いじゃねぇか。やれるもんならやってみろよ」
 相手も杖を手にした。胸の前で横に持つ、かなり変則的な構えだ。
「ごーーーーーー!」
 取り巻きの二人が、カウントを始める。
「よーーーーーん!」
 マーキュリーが見つめるのは、スリザリンの生徒。
「さーーーーーん!」
 何かがおかしい――そう。「決闘」だというのに、やる気がまるで感じられない。
「にーーーーーー!」
 マーキュリーは杖を抜いた。
「いーーーーーち!」
来いアクシオ!』『撃てフリペンド!』
 ジュピターが口を開くより一瞬速く、正確な狙い撃ちでジュピターの杖を取り上げる。
「なっ……」
 右手をすり抜けて勝手に飛んでゆく杖を、追いかけるジュピターの視線が亜麻色の杖を構えたマーキュリーの姿を捉える。
「っ――! 何しやがる!」
 その表情に浮かんだのは、憤怒と驚愕、
「あんたまであたしの敵に回るのかよ!」
 そして絶望。
「勝負に水を差してごめんなさい。……ところで」
 マーキュリーはちらりとスリザリンの生徒たちを見る。
 ちっ、と舌打ちをするような仕草。
「決闘と言う割に、お相手は何もしてこないようだけど」
「なん……んん!?」
 言われて目を向けた先では、決闘を仕掛けてきた男子生徒が、ズボンのポケットに両手を突っ込み、顎を突き出して不貞腐れた顔でこちらを見ている。杖を構えるどころか、手に持ってすらいない。
「ちょっ、なっ……えぇ?」
「彼等、最初から決闘なんかする気なかったのよ」
 事態が飲み込めないジュピターに、レイブンクローの優等生はゆっくりと歩み寄りながら噛んで含めるように語りかける。
「たぶん彼等は、貴女を挑発して、喧嘩を買わせて、事件を起こさせたかったのね。そして先生の所に駆け込んでこう言うの、『あいつが一方的に突然魔法を撃ってきました。俺達は杖も持っていなかったのに』ってね。そうすれば、貴女は懲罰室行き、明日の試合には出られない」
「なっ……!」
「うわ、卑怯!」
「そうまでして試合に勝ちたいわけ!?」
 ジュピターのチームメイト達がいきり立つ。
「はぁ?」
 長身のスリザリン生が非対称アシンメトリーに顔を歪ませた。
「おかしな言いがかりつけんじゃねぇよ」
「証拠があんなら出してみろよ」
「関係ねぇ奴はすっこんでろガリ勉女!」
 取り巻きがやんややんやと囃したてる。
 と。
「ちょっとー。何よこれぇ」
 不意に甲高い声が割り込んできた。
「明日の試合とか何とか言ってなかった?」
 食堂の中から出てきた一団は、今まさに話題にあがっていたスリザリンのクィディッチチームのメンバー達だ。声の主はヴィーナス・クロム、ポジションはシーカー。ブロンドの長髪にトレードマークのリボンは深紅、クリアブルーの瞳に整った顔。華やかな容姿と派手なプレースタイル、確かな実力と相まって、寮を問わず人気の高いスリザリンの絶対的スター。そして、ハッフルパフの名ビーター、『撃墜王』ことジュピター・フォレストとは互いに煮え湯を飲ませあう仲である。
「っ、ヴィーナス! てめぇ! 見損なったぞ!」
 混乱でひととき収まっていたジュピターの怒りが再燃する。
「そうまでして勝ちたいのかよ卑怯者!」
「……破れた棒に何よ」
 クィディッチのスターは、残念ながら慣用句が苦手のようだ。
「とぼけんじゃねぇ! あいつらけしかけたのてめぇだろ!」
「はぁ?」
 ジュピターの指さす先にヴィーナスが視線を向けると、スリザリンの三人組は大スターのご尊顔に思わず顔を綻ばせた。
「誰あれ」
 心底訳がわからない、という風に眉を顰めるヴィーナス。
「それは私が説明するわ」
 見かねて、マーキュリーが口を挟んだ。放っておけば、ジュピターが今度はヴィーナスに喧嘩を売りかねない。
「あれ? 優等生ちゃんも野次馬なんてすんのね。意外!」
 外面が良く誰にでもフレンドリー。この、スリザリン生としては珍しい性質がヴィーナス・クロムの人気の理由の一つだ。
「彼等はジュピター・フォレストを挑発して怒りを煽り、決闘を受けて立つふりをして魔法を撃たせようとしたわ。酷い言葉m-wordまで使ってね」
 ただの通りすがりよ、と微苦笑で応え、マーキュリーは淡々と語る。 
「決闘、といっても形式は出鱈目、ただの喧嘩よ。目的はおそらく、彼女を懲罰室送りにして、明日のスリザリン戦に出られなくするため」
 ヴィーナスの顔から笑顔が消えた。
「黙ってろっつってんだろ妄想女!」
「証拠もねぇのに勝手なこと言いやがって!」
 スリザリンの三人組からヤジが飛ぶ。
「……貴女がそう考える、根拠は?」
 腕を組み、首を傾げて、ヴィーナス。
「決闘を受けた、あの一番背の高い彼。勝負の瞬間に、素早く杖をポケットに収めたの。たぶん、対等な喧嘩ではなく純粋な被害者を装いたかったのね。そして、私が彼女の杖を取り上げて止めた時、ものすごく嫌そうに舌打ちしていたわ」
 全て私の主観ではあるけれど、とマーキュリーは付け加えた。
「何それ」
 ヴィーナスが眉を顰める。
「マジでムカつくんだけど」
「そうだぞ!」
「どうやって落とし前つけんだ、あぁ!?」
 調子づく三人組。
 ヴィーナスは踵を返してつかつかとスリザリンの生徒達の方に歩み寄ると、自分より背の高い少年のネクタイを掴んで思い切り前に引き倒した。
「地べたに這いつくばって謝れば許し――んぐんっ!?」
 自分が石の床に這い蹲る形になった男子生徒のネクタイを、今度は上に捻りあげる。
「あんた達、あたし等のことバカにしてんの? ねえ」
 ねえ、の所でぐいとネクタイを引いて、ヴィーナス。声のトーンと語り口は、あくまでも可愛らしく、フレンドリーだ。
「あたし等のこと、よわよわヘッポコチームだと思ってんのね?」
 至近距離で見る麗しのスターのご尊顔は、目が笑っていなかった。
 男子生徒の顔から一気に血の気が引く。
「だから『撃墜王』が相手じゃ勝てないかもー、って思った。違う?」
「あっ、あっ、いや」
「スリザリンのチームはヘタクソで弱いから、俺が助けてやらなきゃ! って、張り切っちゃったのよねー?」
「ちがっ、ちが」
 先刻までの威勢の良さはどこへやら、男子生徒は息も絶え絶えで小刻みに首を横に振る。
「何が違うのぉ?」
「い、言いがかりだ! 証拠は何も、んぐっ!」
「あのね?」
 文字通り男子生徒を締め上げながら、
「あたしが黒だと思ったら、それは黒なの。証拠とか関係ないから」
 すぅ、と目を細めるヴィーナス。取り巻きの二人はバジリスクに睨まれたように動かない。
「……で。あんた達のせいであたし、こんな大勢の前で卑怯者呼ばわりされちゃったんだけど。どうしてくれんの?」
「あ、あ、」
「こういう時、なんて言えばいいのかな? ママに教えてもらったよね?」
「〜〜っ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 半泣きで繰り返す男子生徒から、ヴィーナスはやっと手を放し。
「あんた達の顔、覚えたから。今後あたし達の試合、出禁ね? もし競技場で見つけたら――客席に暴れ鉄球ブラッジャーぶち込んじゃうから★」
 わかった? と可愛らしく首を傾げて見せた。
 客席に鉄球をわざと打ち込むのは反則だし、そもそもヴィーナスのポジションは鉄球を打ったりしないのだが、流石にここでそんなツッコミを入れられるような勇者はいない。男子生徒達は壊れた人形のようにがくがくと首を縦に振った。
「そ。じゃあ、もういいわ。早く消えて?」
 ヴィーナスが女王のようにそう言うと、彼等は人混みをかき分けて脱兎の如く逃げ出した。
 騒ぎを起こした張本人が去り、野次馬も一人、また一人と離れてゆく。ヴィーナスは盛大に溜息をつくと、ジュピターの元へ歩み寄った。
「……あたしは謝らないからね? だって元々関係ないし」
 そして、人差し指をジュピターに向けて高らかにそう宣言する。
「そうか。……んじゃ、あたしも礼は言わない」
 微苦笑しながらジュピターが応えると、ヴィーナスはくるりと踵を返し、
「ありがとね、優等生ちゃん。貴女もよかったら明日の試合観に来てね?」
 そう言いながらマーキュリーにウインクを一つ飛ばして、チームメイトの元へと戻っていった。
「……マーキュリー」
 名を呼ばれて、去ってゆくヴィーナスの背中を追っていた視線を声のする方へと向ける。声の主はもちろん、この騒ぎの当事者、ジュピターだ。
「ありがとう。また、助けてくれて。それから……ごめん、怒鳴ったりして」
「別に。胸ぐらを捕まれるくらいのことは想定してたから、あの程度なら何てことないわ」
 頭を掻き掻き、気まずそうに礼を言うジュピターに、マーキュリーは涼しげな微笑で応える。
「……ほんと。何で、そこまであたしなんかに肩入れするかな」
 ジュピターは驚きに丸くした目をふ、と細め、苦笑する。
「さあ。強いて言うなら」
「「親近感」」
 二人の声が重なり、そして二人同時に破顔した。
「よかったら、見に来てよ。明日の試合」
 ジュピターの申し出に、マーキュリーはそうね、と少し思案すると、
「二人も誘ってくれる人がいるなら、行かないわけにはいかないわね」
 そう言って、穏やかに微笑んだ。

§4 Friends and Foes ――Fin.

  


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