§3 Wands and Bonds

深森 薫

 マーズ・フレアは一人、ダイアゴン横町を歩いていた。
 ホグワーツ魔法学校のローブに身を包み、人目を忍ぶようにフードのフードを目深に被って、週末に賑わう石畳を歩く。思えばこれまで、街を歩くことをこんなにも居心地悪いと思ったことも、一人で歩くことを心細いと感じたこともなかった。
 アイスクリームにも流行のローブにも、勿論悪戯道具などにも一瞥もくれず足早に通り過ぎ、飛び込んだのは杖の専門店。
「いらっしゃい」
 無事に目的地に辿り着き、安堵の溜息をつくマーズの姿を認めて、カウンターに座っていた老爺は丸眼鏡をくいと上げた。ふさふさした銀色の眉、豊かな鼻髭、ライオンのたてがみのように広がった頬髭と髪。ランプの明かりを照り返す艶やかな頭頂部に、一房だけ残った銀髪。優しげに目を細めるこの老爺こそが、当代最高の杖職人、オリバンダー翁その人である。
「学生さん。杖の買い換えかの? それとも修理かの?」
 フードを脱いで会釈をするマーズ。少し大人びた、完璧なまでに整った顔立ち。鴉の濡れ羽色とはこういうものだという見本のような長い黒髪、黒い瞳。確かに、フードでも被っていなければ、横町を三歩歩く度に声を掛けられて一向に前に進まないだろう。
「ええ、それが……」
 困惑したように口を開くマーズ。
「よくわからなくて」
「ほう?」
 オリバンダー翁の、丸眼鏡の奥で銀色の瞳がきらりと光る。
「お嬢さんの杖は、確か……メープルにユニコーンの尾毛じゃったな」
 マーズは目を見開いた。
「よく覚えていらっしゃるのね」
「覚えているとも。爺さんに連れられてここに来たのは、まだお前さんがこれくらいの頃じゃったかの」
 そう言って、両手を横に広げて見せる杖職人。
「そんな、釣り上げた魚みたいに」
 マーズはくすりと笑った。店主が、自分を魔法省高官の娘としてでも、『グリフィンドールの魔王』としてでもなく、ただの子供として見てくれることに心地よさを感じて。
「はてさて。ともかく、杖を見せて貰おうかの」
 久々の里帰りじゃな、と微笑むオリバンダー翁に、マーズはローブの内ポケットから取り出した杖をそっとカウンターに置いた。
「一昨日までは、普通に使えていたのだけど。昨日、突然使えなくなって」
「どれどれ……『光よルーモス』」
 老人が彼女の杖を手に取り呪文を唱えると、その先端に魔法の灯が点る。
「ふむ。杖そのものに問題はないようじゃな」
 目を見開いて口をぱくぱくさせるマーズに、オリバンダー翁は涼しい顔でそう言うと、杖をそっとカウンターに戻した。マーズはその杖を手に取ると、気持ちを落ち着かせるように深呼吸を一つして、静かに呪文を唱えた。
「『光よルーモス』」
 今度は、何も起こらない。
「……何で……」
 マーズは不安げに顔を曇らせる。
「ふむ。では、杖に直接聞いてみるかの」
 老爺は形良く整えられた鼻髭を撫でながら、そう曰(のたま)った。
 魔法族が用いる杖には、本体の木材と核になる芯材との組み合わせが実に多種多様なうえ、芯材は強い魔力を持つ生物に由来するが故に同じ種類のものでも個体差がある。そして魔法使いと杖の間には相性の善し悪しがあり、杖が意志を持って自ら主人を選ぶこともしばしばだ。オリバンダー翁はマーズに杖を握らせると、杖に向かっておもむろに語りかけた。
「さて、杖よ。お前さんの芯はユニコーンの尾毛で合っておるか? ……お嬢さん、杖を軽く振ってみなされ」
 言われるがままにマーズが杖を降ると、先端からぱちぱちと小さな火花が散る。
「答えはイエス、じゃな。……お前さんの本体はニレの木でできている」
 何も起こらない。
「ノー、か。その通り、お前さんの本体はメープルでできておる」
 火花が散った。
「では、本題に入るとしよう。お前さん、何故主の言うことを聞かぬのだ? よもや、主に愛想が尽きたか」
 マーズが杖を降ると、突然杖の先がぼっ、と炎を噴き、老爺の綺麗に整えられた髭の先をちり、と焼いた。
「っ! ご、ごめんなさい!」
「いや、お嬢さんのせいではないわい」
 突然のことに恐縮するマーズをよそに、オリバンダー翁は愉快そうに笑う。
「此奴は、儂の言葉が気に障ったようじゃ……では、お前さんの忠義はまだ、このお嬢さんにあるのじゃな?」
 彼の言葉に、今度は先端からぱちぱちと派手に火花を散らして杖が応える。
「だ、そうじゃ」
「はぁ……」
「お前さん、具合の悪いところはあるか」
 沈黙。
「まだまだ元気かの?」
 火花。
 まだ訳が分からない、といった顔でマーズは無心で杖を振る。
「お嬢さんは、今幾つになるかの」
「……えっ? あ、はい、十五です」
 それが杖ではなく自分に向けられた質問だと、一瞬遅れて気付いたマーズは慌てて答えた。
「なるほど……で、杖よ。お前さんは主に、どうしろというのじゃ?」
 老職人は少し焦げた髭をくるくると指先で弄りながら思案する。
「お前さんに代わる、新しい杖を持てと言うか」
 杖は一瞬考えるように沈黙し、やがて小さく火花を散らした。
「あの……一体、どういう……」
 眉根を寄せて、マーズがおずおずと尋ねた。ホグワーツでは優秀な生徒で通っている彼女が、老人と杖の会話に全くついて行けずに置いてけぼりを食らって戸惑っている。そんな様は、滅多に見られるものではない。
「お嬢さんが此処で初めてその杖を手にしたのは、四つの時じゃったな。確か、爺さんがそう言っておった」
 壁一面に造り付けられた棚にぎゅうぎゅうに詰まった杖のケースを見上げながら、オリバンダー翁は昔語りを始めた。
「普通なら、そんな幼い子供に杖など買い与えたりはせん。じゃが、人並み以上に強い力を持った子供の場合、早く力の使い方を教えなけりゃならんこともある。放っておけば、悪気なく魔法を使ってしまって、家がめちゃくちゃになってしまうからのぅ」
 マーズはまた、目を見開いた。てっきり、魔法使いの家に生まれた者は誰でも幼い頃から杖を持って魔法を習うものだと思っていたが、それはむしろ珍しいことなのだと、彼女は今初めて知ったのだ。ついでに、祖父の家の壁や柱の、あちこちに焦げ跡や継ぎぎがある理由も。
「魔法使いの杖というのは普通、十年やそこらで買い換えるようなものではないのじゃが、さすがに四つの時に買ったものを大人になっても使い続けるのは無理があるわい。その杖は、大人になったお前さんに、自分では役者が不足だと思ってお前さんをここに連れてきたんじゃ……おお、此処にあったか」
 オリバンダー翁は棚の一番下の隅から箱を一つ取り出すと、うやうやしくカウンターの上に置いた。
「白樺に不死鳥の尾羽根、長さは二十八センチ。儂が五十年ほど前に作ったものじゃ」
「五十年……」
 売れ残りじゃないの、とは言えなかった。相手は当代最高の杖職人、流石のマーズもルームメイトや級友にするようなツッコミはできない。
「とある場所で、神木として崇められていたものを偶然手に入れてな。これは凄い杖になると思ったが」
 五十年も棚の肥やしになっていたとは思えないほど真新しい化粧箱の中に鎮座していたのは、全体に組み紐模様の装飾が刻まれた、象牙色の杖。
「気難しいことこの上なくてのぅ。確かに強い力を持った杖じゃが、なにぶん潔癖で気位が高くて、主人の選り好みが激しくてな。結局、五十年間誰にも懐かんかった」
「えぇ……」
 こんなに杖があるのに何でそんなの出してくんのよ、という言葉を飲み込むマーズに、翁は杖の箱を差し出した。
「じゃが、お前さんなら間違いなく此奴の主になれる筈じゃ。さあ、持ってみなされ」
(だから何でそんなに自身満々なのよ!)
 これが自分の祖父だったら、とうの昔に爆発しているところだが、残念ながらそうはいかない。マーズは渋々、白樺の杖を手に取った。
「っ――」
 瞬間、杖の持ち手を握った掌がじんわりと柔らかな熱を持ち、これまでに感じたことのないような高揚感が体の底から沸き上がる。
「振ってみなさい」
 言われるままに杖を振れば、先端から七色の火花が噴き出し、無数の光の粒が金の砂のように辺りに舞った。
「思った通りじゃ」
 年相応に驚いた表情を見せるマーズに、オリバンダー翁は眼鏡の奥の目を細め、満足げに笑んだ。
「三十年待った甲斐があったわい」
「三十年? ……でも、さっきは五十年って」
 マーズが眉を顰める。
「その杖には、双子のきょうだいがあってな。同じ木から取った材に、同じ不死鳥の尾羽根を使った杖で、長さはもう少し短かったのぅ。それを、父親に連れられた娘が買っていったのが三十年ほど前のことじゃよ」
 オリバンダー翁はそう言って、マーズの瞳を覗き込む。
「で、その父親というのが、お前さんの爺さんじゃ」
「――!」
 マーズは息を呑んだ。
 彼女の母方に、伯母や叔母はいない。
 祖父が連れていた娘というのは、つまり――
「どうじゃね? その杖にするか」
「……はい」
 白樺の杖を抱き締め、今にも泣き出しそうな顔で、マーズは微笑んだ。
「では、三ガリオン戴こう」
「!? 三ガリオン!?」
 感傷に浸っていたのも束の間、素っ頓狂な声を上げるマーズ。今日の彼女はとにかく感情が忙しい。
「いくら何でも安すぎ……! まさか、とんでもない訳ありじゃ」
 新品の杖の相場は四から七、八ガリオン。この店で扱われているような品質の杖なら、六ガリオンは下らない。ましてや芯も木材も一級品を使った、若き名人の手になる逸品だ。
「いやいや。相場の値段じゃよ、五十年前のな」
 ほれ、と化粧箱の蓋に手書きされた値段を見せながら、翁はからからと笑った。マーズは盛大に溜息をつくと、新しい杖を箱に戻し、懐から財布を取り出して金貨を三枚カウンターに置いた。
「それで」
 そして、彼女はその手で古い杖を取り上げる。
「この杖は、どうすれば」
「ふむ」
 焦げた髭を一撫でして、オリバンダー翁。
「それなら、また杖に訊いてみればええ。……のう、杖よ。儂がお前さんに新しい主人を捜してやろうか」
  ぼっ!
 杖は盛大に火を噴き、翁の頭頂部に一房残った白髪を焼いた。
「!?」
「……だ、そうじゃ」
 恐縮するマーズに、翁は悪戯ぽい笑みを浮かべ、
「連れて帰って、飾るなり、箱に入れて収めるなりして、傍に置いてやりなされ。母親が赤ん坊のへその緒を大事に取っておくように、な」
 頭の天辺に燃え残った白髪を撫でながらそう言った。

§3 Wands and Bonds――Fin.

  


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