約束
tetsu
RRRRR RRRRR
「何だろ?誰だ?」
仲間から携帯に電話がかかってくることはあっても、家の電話にかかってくるのは珍しい。せいぜい何かの勧誘とか押し売りとかだったのであまり出たくはなかったのだが、ナゼかその日は予感がした。
「はい」
「あ、すいません木野さんのお宅ですか?」
女の子の声。
「え、あ、はい…もしかして…亜美ちゃん?」
「あ、まこちゃん?よかった、おうちの電話にかけるの初めてだったから緊張しちゃった、わたしの携帯ちょっと調子悪くって」
「あははっそうだよね、あたしもめったに家の電話には出ないんだけど何でだか出ちゃったんだ、で?何かあった?」
「ん?昨日約束したじゃない?」
「え?…もしかして…アイス?」
「うん!」
「覚えててくれたんだ…って学年トップの亜美ちゃんに忘れるって単語はないか!ははっ」
「行かない?」
そんなの聞くまでもない!
「行く!行こう!」
あたしの頭の中で、昨日の亜美ちゃんの笑顔がよみがえる。
亜美ちゃんソフトクリームであんなに嬉しそうな顔…するんだよな、かわいかったな。
思い出すあたしの頬が自然に緩む。
「じゃぁ1時間後に駅でね」
30分でもいいんだけどね!と思いながらもあたしはいそいそと服を選びはじめた。
駅前に着いたのは5分前だというのに、すでに亜美は文庫本を片手に立っていた。
50メートル手前からでも見つけてしまうよ。
「亜美ちゃん!ごめんごめん、待った?」
あたしは大きく手を振ると亜美ちゃんのそばに駆け寄る。
「ううん、今来たところよ」
ニッコリ微笑んであたしを見上げる亜美の笑顔がまぶしい。
あたしは目を細めて微笑み返した。
「どこ行く?まこちゃん」
「えっとね、最近出来たっていう新しいアイス屋があるんだよ!行く?」
「うん!行く!」
だーーーーっこの嬉しそうな顔!
あたしは手の甲を額に当ててクラクラと貧血を起こしかけるのを何とかこらえた。
真夏というにはまだ早いのに、すでにのあたしの脳みそはすっかりぼせ上がっていた。
あたしたち2人はお目当てのアイス屋で無事にそれぞれの好みのアイスクリームをゲットすると、きゃぁきゃぁとお互いのアイスをつつき合う。
「亜美ちゃんトリプルも食べれるの?」
亜美ちゃんって意外な行動取るよな、たまに!
3段に重ねられたアイスを見てあたしは目を丸くする。
「うん!大丈夫!まこちゃんは?ダブルでいいの?」
「うん、いざとなったら亜美ちゃんのもらっちゃうからさ」
「いやだぁ〜」
「えぇ?いいじゃん〜」
じゃれあう2人の足は自然と目の前の大きな…一般的に言うデートスポットに向かっていた…その名も『大観覧車』。
「あたしアレ乗ってみたかったんだ!引っ越してきた時から気になってたんだよね」
「そうなの?あたしも実はまだ乗ったことないの、出来たの去年だし」
「行こっ」
チャンス!
あたしはギュっと亜美ちゃんのアイスを持ってない方の手を握り締めると駆け出した。
「うわぁ〜近くで見るとやっぱりおっきいな!」
「ん、スゴイよね」
「あ、チケット買ってくるね…ってアレ?」
ふっとあたしは観覧車の下で、ボンヤリと立っている見覚えのある仲間の顔を見つけた。
「え?」
「ね、亜美ちゃん、アレ…レイだよね?」
あたしは観覧車を見上げていた亜美ちゃんを呼び寄せて確認する。
「ホントだ、何してるのかな?」
「アイツはホント秘密主義だからなぁ」
パタパタっとあたしはレイに駆け寄った。
「よっレイ!何してんの?」
「まこと!?」
いきなり名前を呼ばれて、ギクリっと肩を震わせたレイは、約束をしてたわけでもないのに突然現れた仲間の姿に驚いていた。
そんなに驚くこたぁないだろうに…。
「亜美ちゃんも一緒なの?」
こっちに向かって駆けて来る亜美の姿を捕らえたレイは2人が一緒なのが偶然ではないことを確認する。
「ん、まっね、レイは?」
「マーズはあたしとデートよね?」
と、レイの声ではない別の声が、レイの後から返事をする。
「へ?」
あたしたちは声のした方を一斉に見る。
おいおい!こんなところにいてもいいのか?愛野美奈子!
「愛野美奈子!」
「愛野美奈子…ちゃん?」
「ヴィーナス!」
あたしたち3人はそれぞれそこに立っていた一人の女の子の名前を同時に呼んでいた。
「しーーーーーーっみんな声大きいって!」
唇に人差し指を立てて制する美奈子にあたしたちはハっと口を押さえた。
「特にマーズ!ヴィーナスとか大きな声で言わないでよ」
「あなたもね」
2人のやり取りを見ているといつも思う。一体この2人の間に何があったんだろう?とこの2人、あたしたちが全く知らない間にいつのまにかコンタクト取ってて、いつのまにか仲良くなってんだよなぁ、まぁレイは出会った時、愛野美奈子がヴィーナスだって知らなかったみたいだけどさ。なんなんだ?この自然な会話のやりとりは…。まるで昔からの親友みたいな…。
あたしにとっては、仲間であり、リーダーであるセーラーヴィーナスというよりは、まだアイドルの愛野美奈子というイメージの方が強いんだけど…。
「何?まことは亜美ちゃんとデート?」
「へ?あ、いや、その…へへっ」
レイの問いに改めてデートという言葉を意識したあたしの心臓がドギマギする。
思わず亜美ちゃんを見下ろしてしまうと、静かに微笑んであたしを見上げている瞳と出会う。
アレ?っとふっと感じた違和感。
亜美ちゃんの笑顔って…こんなだっけ?
「それはそうと、レイ達ってミーティングとか戦い以外に外で会うなんて、仲いいよね」
「そんなことないわよ?何か黒木ミオのことで話あるとか言うから来たの」
「へ?そう…なの?でもどうしてレイにだけ?」
あたしの純粋な疑問に、痛いトコロを突かれたというように顔をしかめるレイ。
そんな困っているレイを面白そうに眺める美奈子。
そんなやり取りを、ただ黙って微笑んで見守る亜美。
???亜美ちゃん?
答えに困ってるレイも気になるけど、今は亜美ちゃんだ!
あたしはそれ以上ツッコむのをやめた。
「と、とりあえず…さ、あたしらコレ乗るわ」
観覧車とチケット売り場を指さすと、そもそものあたしらの目的を告げる。
「へぇ〜コッテコテのデートスポットね、亜美ちゃんに悪さしちゃダメよ!まこと」
「わ、悪さって何だよ、レイ!」
「くすくす、まこと、観覧車の中は密室よ、しかも空中にいる時間って結構長いのよね、コレ」
美奈子がいつ乗ったんだか、観覧車を指さして経験を語る。
「ふ、ふ、2人とも!いい加減にしてよ!」
あたしの頭が沸騰する。レイ達の言葉に一瞬脳裏に色んな妄想が駆け巡ったことを隠すかのように。そんなあたしを見てケラケラ笑う2人。
「それはそうと?ヴィーナス乗ったことあるんだ?」
レイはいきなりマジメな顔になると、ターゲットをまことから美奈子に変更した。
美奈子はニヤリと唇の端を少し上げて笑うと、レイの鼻先に人差し指を突きつけた。
「ま、ね、あなた今言ってたじゃない?デートスポットだって…」
「ふーん」
レイの顔から笑顔がスーーッと消えた。
あっヤバイ、レイ怒ってるよ…ヴィーナスってどうしてこうレイを怒らせるようなことするんだろう???
とりあえず…退散したほうが良さそうだな。
「い、行こうか亜美ちゃん」
「うん」
「ん?」
あたしは亜美ちゃんの手があたしのシャツのすそがくしゃくしゃになるくらいに、ギューーーっと握りしめていることに今更ながら気がついた。
じゃねっと2人から離れるとあたしはゆっくりと亜美ちゃんの手をシャツから外す。
「え?あ、ごめんなさい、まこちゃん」
亜美ちゃんがあわてて引っ込めようとする手に、あたしは強引に指を絡める。
「ううん、あたしこそごめん、でも…こっちのがいいだろ?」
亜美ちゃんがえっ?とあたしとつながれた手とを交互に見つめる。
「気づいてあげられなくてごめんね、亜美ちゃん」
ぽんぽんともう片方の手で亜美ちゃんの頭をなでる。
亜美ちゃんは水を浴びた後の子犬のようにプルプルと何度も首を振ると、次に顔を上げた時には笑顔になっていた。
「まこちゃんの手…大きいね」
「そうかい?」
「うん」
亜美ちゃんにいつもの笑顔が戻ってる。
気のせいだったかな?
あたしはまだやりあってる二人を振りかえる。
それにしても…こんなトコでケンカなんかして…ヴィーナスよくバレないよなぁ…。
「ねぇ、マーズ、あたしたちもコレ乗ろう」
「ヤダ!」
「どうしてよ?」
「あなたとデートなんかしたくないからよ!」
「えー?もしかしてさっきの相手、気になってるの?」
「別に!」
「んもう…うさぎちゃんよ!」
「はぁ?」
「前にファンに追いかけられたときに一緒にいたのよ、それでここに逃げ込んだの」
「うさぎ?」
「そう、だから今度はちゃんと乗りたいの、マーズと」
「…わかったわよ」
「やりっ」
…ほんとに仲、いいんだよなぁあの2人。
とりあえずまことは…呑気だった。
順番待ちの後、あたしたちの前にやってきたのは空色のゴンドラだった。
「うわぁ、観覧車なんて久しぶりだよあたし!」
少しづつ空に向かって昇っていく密室空間にあたしの心臓は高鳴った。
ずっと握りっぱなしだった亜美ちゃんの手をぶんぶんと振り回す。
「スゴイスゴイ!空飛んでるみたい!」
一緒になってはしゃぐ亜美ちゃん。
2人して行儀が悪いとは思いつつ窓に張りつくと、空を見上げた。
「うんうん!人間がマメつぶみたいだもん、あ、見て見て飛行機雲だ!」
「ホント、でも飛行機雲が出るとお天気下り坂だって言うわよね」
「へぇ?そうなんだ」
「何かの本で読んだわ」
「亜美ちゃん相変わらず勉強家だね」
あたしは尊敬のまなざしで見つめると、目を細めて笑いかける。
亜美はそんなことないわっと一瞬顔を伏せる。照れてるんだろうなと、そんな亜美ちゃんが微笑ましくて、あたしはジっと眺めていた。
視線を感じたのか、顔を上げた亜美ちゃんは頬を少しだけ赤く染めて笑う。
あぁ、やっぱりいつもの亜美ちゃんだ。
さっきのは気のせいだな!きっと。
聞いてみたいけど、でも亜美ちゃん自身も気づいてないのかもしんないしなぁ、余計なこと言わない方がいいな。
ニコニコ笑っている亜美ちゃんの横顔を見ながらあたしはそんなことを色々考えたけど、見てるうちに何だかそんなのどうでもよくなってきちゃった。
そのかわりといっちゃなんだけど、別の質問をぶつけてみた。
「楽しい?亜美ちゃん」
「うん!楽しい!あ、まこちゃん頂上だよ!」
「ホントだね、高い!スゴイ!…」
「まこちゃんとわたしって、背の高さが違うからいつも見えるモノが違うような気がしてうらやましかったけど…ここなら同じだね!ほら、空がすぐそこにあるの」
「へ?えっ?う、うらやましい?」
「うん、うらやましい!」
「初めてそんなこと言われたよ、あははコンプレックスだったんだけどな」
「そんなことない、まこちゃんかっこいいもん」
一生懸命あたしに訴える亜美ちゃんがかわいくて、かわいくて、あたしは無性に目の前の亜美ちゃんを抱きしめたい衝動に駆られる。
『観覧車の中は密室よ』
美奈子の声が繰り返し頭の中でぐるぐる回りつづける。
や、ダメダメ!絶対ダメ!がんばれアタシ!もうすぐ地上だ!
あたしは必死で亜美ちゃんに手を出そうとするのをガマンするために、手を何度も何度もグッパーと握り締めたり開いたりを繰り返す。
外の景色を楽しむ余裕も何も、最早あたしには全くといっていいほど無かった。
「…ちゃん?…まこちゃん?」
ドキン!
「大丈夫?まこちゃん気分悪い?」
「え?へ?あ、や、大丈夫だよ」
「ホント?」
「うん、ホントホント」
「よかった」
一安心だというように息を吐くと、亜美ちゃんがふっとあたしとつないでる方と反対の…グーで握りこぶしを作っているあたしの手を見つめる。
握りしめ過ぎたせいで血の気の失せて真っ白になっていた。
亜美ちゃんの手が離れたかと思うと、握り締めてた手を取って、指を一本ずつゆっくり広げて行く。
「まこちゃんの手、やっぱり大きいね」
自分の手のひらをあたしの手のひらに合わせる。
1関節分くらいあたしの指の方が長かった。
「手の大きさって身長に比例すんのかな?」
「そういった医学的根拠はないけど?」
「そなの?」
「うん」
その時、空の旅の終わりが告げられるかのように、ガクンと密室空間が地上にたどり着いた。
「ちぇっ残念だなぁ…行こうか、亜美ちゃん」
「うん」
合わせていた手をお互いの意思でギュっと握りしめ合うと、観覧車から飛び出した。
「アレ?まことたちコレに乗ってたんだ?」
「げぇっ?」
あたしたちが地上に降り立った瞬間…結局美奈子に引っ張って来られたのだろう、レイと美奈子が順番待ちの列から声をかけてきた。
「まーこと♪」
美奈子はグイっとあたしの手を引っ張ると、耳元に口を寄せて囁いた。
「どうだった?空中の密室は?」
カァーっと瞬間湯沸し器と化したあたしは、思わず美奈子によって亜美ちゃんと引き裂かれた手を見つめる。
「べ、べ、別に!な、何も!」
「ホントにぃ_?」
ニヤリと怪しんでるような目であたしを見上げたかと思うと、レイと楽しそうに話している亜美ちゃんにも目を向ける。
つられてあたしも視線を追う。
「ホ、ホントだよ!な、何があるって言うんだよ!」
「さぁ_ねぇ、くすっ、亜美ちゃんってさ、かわいいもんね」
ドクン!
「え?あ、えと…何?」
くすくすっっと思わせぶりな笑みを浮かべる美奈子にあたしは完全に動揺していた。
「そ、そ、そっちこそ!これからどうする気さ?乗るんだろ?」
「乗るわよ」
「密室だよ?」
「知ってるわよ」
「空中だよ?」
「当たり前じゃない」
「レイだよ?」
「いいじゃない」
「…うん、や、いいんだけどさ」
「でしょ?」
完敗。
「じゃね、まこと、まぁまだ時間はあるんだし?がんばって」
「な、な、何を!?」
「あのね…」
あきれた美奈子はため息をつくと、それ以上言葉を発するのをやめて、さっさとレイの元へ駆け戻っていった。
おいっ!
美奈子と入れ替わりに亜美がまことの元に駆け寄ってきた。
「まこちゃん、お話終った?」
「へ?あ、うん、別にたいした話じゃないんだ」
「ふーん?」
そんなあたしたちを列からニヤニヤ笑って見ている2人の視線に気づくと、あたしは亜美ちゃんの手を取ってくるっと2人に背を向けて逃げ出した。
「行こう!亜美ちゃん!」
「え?あ、うん」
小走りでついてくる亜美ちゃんの歩幅を考えてあげる余裕もあたしは完全に失っていた。
「あ…雨が降るわ」
「え??」
今思えば水の戦士の力を持っていたからだろうか、雨の匂いなどには昔から妙に敏感だったと思う。
まこちゃんに手をひかれながら、ふと空を見上げる。
青い空。
でもわかる。
「雨…降るわ、まこちゃん」
不思議そうに振り返ると足を止めたまこちゃんが、一緒になって空を見上げる。
「そうなんだ?じゃぁ雨宿り探さなきゃね」
うーんっと額に手を翳して素早く辺りを見回す。
そんなまこちゃんの行動に心底驚いた。
「信じて…くれるの?」
こんなに晴れ渡った空なのに、雨が降るなんて言って素直に信じる人なんて、そうはいないと思うんだけど…。
「へ?だって…降るんだろ?」
コクンとうなづく。
「じゃぁ雨宿り探さなきゃ」
「どうして?」
「は?何が?」
「どうして?わたしの言うことウソだとか思わない?」
「うん、思わない」
「こんなに晴れた空なのに?」
「だって、亜美ちゃんが言うんだからそうなんだろ?」
よくわからない理屈で返される。
ちゃんとした筋道を立てて理詰めで話すのは得意でも、こうよくわからない理屈で返されると、どう答えていいのかわからなくなる。
でも、素直に嬉しい。
思わずふふっと声を洩らしてしまった。
どうして笑うんだろう?というような顔で首をかしげるまこちゃんが、またおかしくてついに声を出して笑ってしまう。
「あははっ、まこちゃん、行こう!」
「え?あ、うん!」
今度はまこちゃんが引っ張られる番だね。
「あーあ、結局間に合わなかったね」
「うん」
結局雨宿りには間に合わず、2人の髪からは水滴が滴っていた。
とりあえず公園の滑り台の下に逃げ込んだけれど…。
さっきまで青かった空をまこちゃんがうらめしそうに見上げる。
まこちゃんがゴゾゴゾとハンカチを取り出すと、自分の頭より先に拭いてくれる。
「あ、ありがと、自分でできるから…」
自分のハンカチを出そうとする。
「いいからいいから、あたしにやらせてよ」
まこちゃんはやんわりと言葉を退けると、優しい手つきで水滴を拭う。
「でもさ、亜美ちゃんの言った通りだったよね、さすが水の戦士だ、あははっスゴイや」
出したハンカチをしまうことも出来なかったからってワケじゃないけれど、まこちゃんの頭を拭きたくなって背伸びをした。
「あたし背、高いから大変だろ?いいよ亜美ちゃん」
「ううん、いいの、やらせて」
「う、うん…」
まこちゃんの視線の位置が同じ高さになる。
ふと足元を見ると、ひざが少しだけ折れていた。
そんな気を使わなくってもいいのにな。
ホントにこの人は無意識に人に優しく出来る人なんだわ。
「大丈夫よ、まこちゃん」
「そう?」
まこちゃんは背を元通りに伸ばすと、頭を垂れて気持ち良さそうに目を閉じた。
雨音以外何も聞こえない、静かな時間が流れる。
ふと雨音に混じって声が聞こえた。
気のせいかな?と顔を見合わせると、もう一度耳を傾けた。
ニャオン
「聞こえた?亜美ちゃん」
コクンとうなづくと、視線は声の主を探す。
「あ、まこちゃん!あそこ」
公園の中央にある土管の中から声が聞こえている。
どうしようか迷っている一瞬の間に、まこちゃんはイキナリ雨の中を土管に向かって駆け出した。
「え?あ、ちょっとまこちゃん?」
今頭を拭いたばかりなのに?と驚いたけど、もう迷ってるヒマもない。
「こねこだ」
ニャオンと寂しげな瞳で見上げる一匹のこねこが、小さな箱に毛布と「誰か飼ってください」というメッセージと共に入れられていた。
まこちゃんの背中越しに見ようとすると、雨が降っていたことをフっと思い出したのか、まこちゃんにこねこの入った箱と一緒にこれ以上濡れないようにと土管にグイっと押し込まれてしまった。
後からまこちゃんももぐり込む。
中は大人がしゃがんでやっと入れるくらいの大きさだった。
「捨てられたのかなぁ?」
元の飼い主は一応雨が降っても大丈夫なように、土管に捨てた…んだろうな。飼い主は優しい心の持ち主かもしれないが、本当にこの子を思うなら、自分が飼えなくてもちゃんと買主を探してあげるべきだと思う。
チョット悲しくなってしまった。
まこちゃんも同じことを考えていたのかな、寂しそうな瞳でコクンとうなづく。
「飼えないなら…初めら飼っちゃダメだよ…突然ひとりぼっちにされる身にもなってあげなきゃ…かわいそうだ」
自分の生い立ちや今の状況と重ね合わせているのかな?
悔しそうに歯噛みしているまこちゃんを見てるとせつなくなってくる。
まこちゃんが両親を亡くしてひとりぼっちになって、もう随分になるって聞いたことがあるけど…。
いくらあたしたちがいるからって、みんながそれぞれ自分の家に帰っちゃうと、やっぱり一人の家に帰らなきゃいけなくなるもんね…寂しいよね。
『おかえり』って迎えてくれる人がいないのは寂しいもん。
それでもまこちゃんは強い…そして優しい。
でもそんなまこちゃんに、自分はひとりぼっちだと…やっぱり思って欲しくないな…。
まこちゃんはよしよしとこねこの頭をなでている。
目を細めて微笑むのは、彼女が優しい気持ちで笑う時のクセだと、気づいていた。
愛しい…と、心底想う。
まこちゃんの手が気持ちよかったのか、こねこはゴロゴロと喉を鳴らして目を閉じ、アゴをあげて「もっと」とねだる。
ニャオン
「喜んでるね」
「ん」
「まこちゃんの手、優しいから…この子にもちゃんとわかるんだよ」
「…も?」
「あたしにも…ちゃんと伝わってるよ、まこちゃん」
こねこのアゴを人差し指でくすぐりながら言葉を続ける。
「わたしね、ひとりぼっちで生活してるまこちゃんのそばにいつもいてくれる人が、誰か出来たら嬉しいなってずっと思ってた…」
「亜美ちゃん?」
「…あたしじゃダメかなぁ?」
「…えっ?」
ポカンと口を開けたまま固まってしまったまこちゃんの手を取ると、思いきってもう一度繰り返し自分の気持ちを伝えようと、今度はシッカリ顔を上げた。
「その誰かが…あたしじゃ…ダメ…かな?」
心臓が早鐘を打つ。
雨のせいで冷たくなった体が、少しだけ熱を持った気がする。
自分が誰かを求めるなんて、こんなに…心から誰かのそばにいたいと思うなんて…。
昔に比べたら随分な進歩だと思う。
雨音とこねこの喉を鳴らすゴロゴロという音だけが土管の中に響く。
空気を読んだのか、こねこがニャオ?と見上げる。
その声にハっと我に返る。
「え?あ、ごめん!ボーっとしちゃった…ちょっと…ビックリしちゃって」
ポリポリと頭を掻くまこちゃんの顔を見れずに、今更ながら顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「ご、ご、ごめんなさい、ヘンなこと言っちゃって…ごめんねまこちゃん」
「え?どうして謝るんだい?あたし…スゴイ嬉しかったよ」
「まこ…ちゃん?」
「亜美ちゃんがさ、そんなこと言ってくれるなんて思ってなかったからさ、ビックリした…そんな風に思ってくれてたのが嬉しいんだ…あたし…一人じゃないんだね」
「うん…ずっと一緒にいれたらいいな…って思ってる」
そう告白すると、まこちゃんの細くて長い指に自分の指を絡ませる。
「まこちゃんの…そばにいたい」
「ありがとう」
他の誰に向けられた笑顔ではない。
きっと特別な笑顔。
『まこちゃんの笑顔を見たかったから』
ただそれだけの理由で思いきって電話してみた。
最後の1ケタが中々押せなくて、何度もやめようかどうしようか迷ったあげく切っちゃったりの繰り返しが、随分長い間続いたものだった。
アイスクリームはただの口実。
携帯の調子が悪いなんてウソ…家に電話して出なかったらあきらめようと…自分の気持ちを飲み込もうと思ってたのに…彼女は出た。
めったに出ない家の電話に、彼女は出た。
一瞬気持ちが通じたのかと、錯覚してしまった。
「あの…さ、亜美ちゃんに今日ずっと聞きたかったことがあったんだ」
「何?」
「えっとさ…うまく言えないんだけどね、今日レイたちと遭ったじゃない?」
コクンと何を突然言い出すのだろう?と思ったが、とりあえずうなづいて先を促す。
「あの時亜美ちゃん…笑ってたけどなんか遠慮してるっていうか、笑顔がぎこちないっていうか…あーホントにうまく言えないや!でもね、あれ?亜美ちゃんの笑顔ってこんなだっけ?って思ったんだ」
「…うん」
気づいてたんだ、まこちゃん。
「どうしてかな?って考えたんだけど、観覧車に乗ってる時はいつも通りだったし、あたしも楽しかったから忘れちゃっててさ」
ポリポリと頬を掻くまこちゃん、これもクセだね。
「…うらやましかったの」
「へっ?」
そんなに思いがけない答えだったかしら?
「レイちゃんと美奈子ちゃん、何でも言い合えて、でもスゴク信頼しあってるのがわかるし、いいなって…」
「そうなの?」
コクン
「まこちゃんも、何だか美奈子ちゃんと仲いいみたいだったし…」
ヤキモチを焼いたなんて絶対言えない。
目を丸くして見つめるまこちゃんの視線から、思わず目をそらせてしまう。
「それに…やっぱり緊張してたのかも」
取ってつけたような言い訳を付け加えてみる。
「え?何で?」
「やっぱり仲間でも、愛野美奈子だもの、アイドルの」
苦笑いでごまかしてはみたけれど、まこちゃんがどう思ったのか気になって見上げた。
「プっ…あははははっ、亜美ちゃんってかわいいなぁ」
お腹を押さえて笑い出す彼女。
まこちゃんヒドイ、やっぱり言うんじゃなかった…。
「あははっ、ごめんごめん、でもわかる!わかるよその気持ち!レイはTVとか見ないし興味もないからあれだけ対等に付き合えるんだもん、レイは特殊だよ!大体会ってもしばらく愛野美奈子だって知らないで話してたっていうんだからさ!」
「そう?…かな?」
「そうだよ!あたしだってやっと最近慣れてきたんだもん…彼女は…結構イジワルだよ」
キリっとマジメな顔で人差し指を立てて力説する。
一体彼女と何があったのだろう?と気になってしまう。
「キライじゃないけどね」
フワリと微笑むまこちゃんの笑顔は、魔法のように、くすぶっていた心を溶かして行く。
「でも…そっかそっか、それで謎が解けたよ」
首をかしげてまこちゃんを仰ぐ。
「亜美ちゃんがあたしの前ではスゴクかわいい笑顔見せるのって、あたしに心を許してるからだって思っていいんだよね?」
今まで気にしたことなかった…みんなと同じように微笑んでるつもりだった…でも違ったんだ、わざとじゃなく自然にまこちゃんの前では心から笑えてたんだ。
「うん…」
「あたし…さ、亜美ちゃんの笑顔近くでいつも見てたい…だからいつも見てられるくらいそばにいて欲しい、そばにいたいって思ってる…『誰か』が亜美ちゃんだったら、あたしは嬉しいよ」
絡ませた指に力を込めて引き寄せられる。
「ま、ま、まこちゃん?」
「うん?」
まこちゃんの空いた方の手で肩を抱き寄せられる。
首筋に吐息がかかると、唇が触れる。
あったかくてやさしい唇。くすぐったい。
「まこちゃん…あたし…」
言いかけた声を遮るかのように、一瞬忘れていた存在が自分をアピールする。
ニャオーーン
『あ…』
まこちゃんもやはり忘れていたのか、同時に声を発する。
「ご、ごめんごめん」
まこちゃんの手が肩から離れると、ひとりぼっちにされて寂しかったのか、擦り寄ってくるこねこを優しく抱き上げてキスをする。
「ね、亜美ちゃん、この子の飼い主探してあげようよ!」
自分達の家では飼えないことをわかっていた、けどこのままほっとくことなんて絶対出来ない…まこちゃんらしいな。
「うん、探そう!」
「よかったな、オマエ一人ぼっちじゃなくなるぞぉ?優しいお姉さんたちに見つけてもらえてよかったな!」
チュっともう一度こねこにキスを送る。
ちょっと…ちょっとだけうらやましいなと思ったことは、ナイショ。
どれくらい時間が経ったのかな?まこちゃんがフっと外を見る。
「あ、雨止んだよ!亜美ちゃん!」
まこちゃんはこねこを抱いたまま土管から這い出すと、うーんっと伸びをする。
「もう夕方だよ」
続いて土管から這い出しすと、空を見上げる。
「うわぁ、すごい夕焼け!」
あまりにもキレイな夕焼け空だったので、2人でひとしきり黙って眺める。
と、まこちゃんがニッコリ微笑んだかと思うと、ちょっと待っててねっとこねこを手のひらに乗せて、どこかに駆けていってしまった。
しばらくしてどこから持って来たのか、一つのブロックをドスンと足元に置く。
「…なぁに?コレ」
突然のまこちゃんの行動が理解出来ずに、どうしたものかと見上げて視線で問う。
「乗って、亜美ちゃん」
「乗るの?コレに?」
半信半疑のままとりあえずブロックの上に足を乗せる。
隣に立ったまことの目線が同じ高さで亜美を見つめていた。
「へへっこれであたしと同じ物が見えるだろ?」
ふっと空に目を向けたまこちゃんの視線を追う。
いつもと違う、見なれない風景が目の前に広がっていた。
「うわぁ〜何だか空に近くなったみたい」
「あたしはいつもこんなモンだけどね」
まこちゃんが苦笑する。
それでも新鮮!まこちゃんはいつもこんな風景見てるんだ!
ふっともう一度まこちゃんに視線を戻す。
「でも、まこちゃんの目がこんな近くで見れるなんて、何だかヘンなカンジ」
「だね」
クスっと笑いながらブロックからトンっと降りてもう一度まこちゃんを見上げる。
「うん、やっぱりこれくらいがいいや」
まこちゃんの手が壊れ物に触れるかのようにそっと髪をなでると、その手は頬に下り、なでる。
目を細めて寂しそうに微笑む。
「行こうか…亜美ちゃん」
帰りたくない…なんてわがままかな。
まこちゃんが差し出す手をジっと眺めてしまう。
この手を取ったら帰らなきゃいけない。
「どうした?」
「…え?あ、うん」
迷いながらも、ゆっくりとその手に手を伸ばす。
「明日も…会えるかな?まこちゃん」
答えるかわりにニコニコ微笑むまこちゃん…もうそれだけで充分だった。
ギュっと手を握る。
「ごめんね、もう迷わないからね」
背伸びをしてまこちゃんの頬にチュっと唇を寄せる。
「へ?え?ちょ、え?亜美ちゃん?」
顔を真っ赤にしたまこちゃんが、自分の頬を押さえてアタフタと動揺する。
そんなまこちゃんの耳元に口を近づけると囁く。
「いつまでも一緒だよ、だから明日も会おうね…きっとね」
「うん、約束だよ亜美ちゃん」
目を細めて笑うまこちゃん。
約束ね。
------約束・終
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