心が痛い夜だから
nick
もう悲しみを知るのも嫌なの
もう誰かを殺すのも嫌なの
もう誰かを失うのも嫌なの
なによりも
またあなたに恋をするのが嫌なの
またあなたに愛されるのも嫌なの
戦いのない世界に生まれ変われることができないなんて
そんな運命を背負っているなんて嫌なの
私はすべてを終わらせるわ
ヴィーナス
この戦いが最期よ
だからこの恋に心を躍らせるのも
これが最後よ
「今日、マーズを見かけたわ」
美奈子はペット、いや、相棒のアルテミスにそう伝えた。
「マーズか」
「うん。つーんとしながら歩いているのを見たの」
戦いで疲れた身体をベッドに預ければ、今にも夢の世界に落ちてしまう。だから、ベッドに腰を下ろしたまま耐えた。彼女の夢を見てしまうから。
「覚醒しているのかしら?」
「さぁ?ルナ・・・ほら、セーラームーンのところのルナいるだろ?彼女から聞いているのは、マーキュリーだけだ」
「そっか」
窓を開けた。柔らかくて、温度差を感じない風が、ほんの少しだけ金色の髪を揺らす。東京から見える星は、ほとんどなくて。それでも真っ赤なその星だけは、はっきりと見える。どこにいても見つけることができる。
「覚醒するのよね。そのために生まれてきたんだもの」
「美奈子一人だけに、辛い想いはさせないよ。四守護神、みんなでプリンセスを守るからね」
「そっか。そうよね」
できることなら
つーんと澄ましたまま
私と出会わずに生きてほしい
「楽しみね。彼女が覚醒して、また一緒に戦えるなんて」
赤いゴーグルを外して、本当の覚醒をしたあの日、できることなら、忘れたままでいたかった真実。強くて、怒ると恐くて、誰よりも責任感が強くて、だけど、本当は寂しがり屋で、ちょっとだけ照れ屋で。
「犬猿の仲だったくせに」
「そうよ。マーズなんて大嫌い!さっさと覚醒して、一緒にダークキングダムをやっつけるんだから!」
何度生まれ変わろうとも、やっぱりマーズと出会ってしまう運命。そのすべてを受け入れられるほど、強いわけじゃない。
「・・・・私も、強いフリをしたまま、弱い心を隠して生きていけるかしら?」
つーんと澄まして。ほんの少しだけ顎を引いて。それでも背筋だけは伸ばして。
「美奈・・・」
強がってみても知らずに落ちた溜息は、胸に抱いたアルテミスの耳に掛かって、ピクッと反応する。心は、やっぱり想ったとおり弱いままだ。
「マーズ、あんまり幸せそうには見えなかったのよね。寝不足かしら?」
遠くから見た少女の姿。焼きついて離れないように、じっと見ていた。彼女がこれから背負わなければならない運命も。受け入れなければならない真実も。何もかもが見えてしまった。
「もう、寝ようかな」
窓を閉じて、明かりを消した。暗闇に目が慣れてしまう前に、眠りに落ちてしまいたい。今だけは、月明かりだけは頼りにしたくない。
月の雫は
私の涙
あの赤い輝きは
私の痛み
運命に踊らされるのなら
その剣で私の心を殺めてほしいの
閉じた目蓋をこじ開けようとするのは、彼女の叫びなのか。それとも自分の願望なのか。ブランケットをかぶって、うずくまっても、消えてくれないのは、矛盾を繰り返す自分の心のせいなのか。
この運命を受け止められたのは
あなたが傍にいてくれると思ったから
この想いがたとえあなたに伝わらなくても
私はきっと戦い続ける道を選ぶわ
あなたを苦しめるような邪悪なものたちを少しでも倒すために
あなたを悲しませるような出来事を少しでもなくすために
あなたの心が少しでも優しさで満たされるために
ごめんね、マーズ
あなたと私は
戦いのある世界に生まれる運命なの
あなたと私は
恋に落ちる運命なの
月が姿を消して、太陽が汗ばむくらい光を注ぎ、また一日が始まれば
あなたとの再会が近づいている
あなたの悲しみが近付いている
あなたの痛みが近付いている
あなたとの恋が近付いている
心が痛い夜だから−−−終
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